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ROOTS RADICAL

Posted: 2012/07/05
先日「デモにはもう行かない」と思い切って言いましたが
それは自身の在り方を問うための言葉で
そこに行っている方々への非難や
原発の良し悪しを意味するものではないので
誤解なきようお願いいたします。

広島で被ばくしながらも医療活動を続けていらっしゃる
肥田舜太郎医師の『ヒロシマから「内部被ばく」と歩んで』を
先日地元の書店で購入して読みました。
氏は戦後、その書のタイトルにあるよう「内部被ばく」の危険性について
訴え続けてきた人物の一人であります。

僕たちはこれから「放射線時代」を確実に生き抜かなくてはなりません。
そのためには放射線についての勉強はもちろんのこと
いかにして今の日本が成り立っていったかというその歴史と
これからの「こうありたい」という社会のビジョンを個々が持たねばなりません。
被ばく国がなぜ核を容認するのか、冷静に考えて老若男女が疑問に思うべきです。

この本には、当時被ばくした多くの人が
それを理由に体調不良を訴えると警察に目をつけられ
自己申告を自重せざるを得ないムードが作られたことや
核分裂反応がそもそも兵器をつくるための技術であり
原子力発電はそこに目をつけ金儲けをしようとし始めたビジネスであることなど
知ってそうで知っていない、今に通じる日本の体質が記されています。

そもそも原爆投下後、反米感情を何よりも恐れたアメリカがやったことは
「情報統制」です。(思えばこのblogの最初期の投稿もこの話題についてでした)

放射線障害は前例のない病状であり、
当然のことながらその情報さえ流さなければ対策も薬も研究されることはないのです。
だから原爆、原発にまつわることは完全犯罪であり得る恐ろしいことなのです。
被ばく対策の情報開示を米国軍事医に求めた肥田医師は
「敗戦国民のお前にそれを知ることは認められない」と言われ、
それを唯一指示できるのは米国大統領(当時はトルーマン)のみだ
とつっぱねられたそうです。

何という、人権も、命の価値もないような話でしょう。

僕は、現代において「反社会的」であることは
もはや逆に「社会的」であるとさえ感じてしまいます。
キツい言い方すれば、テレビの情報のみ鵜呑みにしていることさえ
もはや気づかないくらい麻痺してる脳が作っているのが
現代の社会かもしれません。

盲目に信じてきたことはあまりに大きいのではないか???


こんなこと言うと何も筋が通ってないのだけれども
音楽をやっている人たちは直感力に長けているんです。
感覚で、これがヒューマンネイチャーとして正しい!ってことが
わかっていると思うんです。
言葉にはなかなか出来ないから表現しているのかもしれません。

ここにはそういうことを沢山書いてきたつもりだけど
人を繋ぐ音楽の力には教えられ、何度も助けられているし、
人類の理想的な共生ビジョンがあることも経験的に知ることが出来ました。

だから社会で働くサラリーマンはもう少しそんなミュージシャンの声に
耳を傾けてみて欲しいと思うし、ミュージシャンは精一杯毎日を生きてる
サラリーマンの感覚を知る術を持って欲しいと思うのです。

僕は音楽をやっている人間です!なんてまだ胸はって言えるもんじゃないけど
少なくとも違うフィールドで精一杯やってきた自分の感性を
大多数の社会のなかでクロスオーバーさせたいと願って帰郷した点もあるんです。

やはりそこを度外視していては始まらない、
エネルギーのある音楽仲間たちやシーンだけど
そこにいるだけじゃ始まらないと思って飛び出してみたかったんです。

伝えるチャンスも場所も毎日横にあって
自分自身の行動全てが「デモ」になるのです。
だから官邸前には行こうとは思わないのです。
来週も集ってます!って言われても…正直ピンと来ない。
24時間、五感フル稼働で伝えたらどんだけ変わるか試してみたい。

あまりに色んな価値観があるカオスだけど
根本の根本に立ち返っていこう!
温故知新の先端を行こうぜ!
って言うのが僕のメッセージです。



デモにはもう行かない

Posted: 2012/06/26
先日の大飯原発再稼働に反対する首相官邸前のデモには
4,5000人もの方が集まったそうですね。
今日の新聞で総理は「デモの声はよく届いている」と発言したとありましたが、
言葉とは裏腹な行動は繊細になっている彼らの感情を逆撫でするだけのものでしょう。

僕個人もアタマに来ていないといったらウソになりますが
それ以上に、システムに対して中指を立て続けることの意味を問いたいです。

怒りの矛先をデモにぶつけた先には何があるでしょうか。

報道された人数が違っているとかは五十歩百歩の問題で
見てる人は当然のように見てるのが今の情報社会であると思います。
現場にいた人間よりもはるかに多いその情報の受け手が、
明日一歩踏み込んで行動するための動機とは何なのか??
怒りをデモにぶつけたい、自分に出来ることを何かしたい!
…その思考回路は間違っているとは思いませんが
一歩引いて冷静に、そこの「他を動かすものは何か」を
今は個々が改めて見つめ直すべきなんじゃないかと思うのです。
そのやり口は、各々の得意分野で表現すれば良くて
その輝きが、他の共感を得る契機になる、ということは
このことに限ったことでなく人間社会や文化の定石でもあると思います。

僕は、自然と共に在る生き方、そこから派生する衣食住にこそ
チャンスがあると思い、3ヶ月前に東京を去りました。
それは当然、東京では出来ないことであったからです。

マイノリティーの中で多くの支持を得る方法と
マジョリティーの中で多くの支持を得る方法は違うということにも気づきました。
要は、どちらに社会を変える可能性があるか、
エネルギーがあるかということなのだと思います。
僕が今まで東京で活動してきたフィールドは前者だと思いますが
そこで得た感性を生かして後者に食い込むやり口を今は模索しています。
そのヒントのひとつは農であるとも思うし、
パーマカルチャーや新しい生活デザインだとも思います。

本気で畑のなかから社会が変わっていくと思っています。
…ちょっと危ない考えと思われるかな?(笑)

みなさんはどう思いますか。


1950年代の核燃料サイクルを国策として進めると決断したときから
そのレールの上を僕らは生きているのです。
途中70年代になって、そのエネルギー政策が
緒外国に対する抑止力になることに気付き国が推進してきた事業でもある、
ということは、今は民放のNHKでさえドキュメントで放送しているのです。
エネルギーシフトを謳う人たちの認識はこの延長線上にあるのだろうか??
「エネルギーが必要」と思い純粋に研究してきた人類の知恵は
今や、空気からさえエネルギーが生み出せることにも気づいています。

では、エネルギーとは何のために必要なものなのでしょうか?
それは当然、「生活」のためですよね。
人間はより良い明日を夢見る生き物なんです。
それが社会、法、文化…全てを作ってきて今があります。
では、最低限明日ぼくが必要なエネルギーは
これだけです、って言える人はどれだけいるだろう。
そこは個人の感覚で0〜無限まで十人十色でしょう。
結局のところ、この共通意識、つまりは
「これだけあればいいよね」という規定が定まらないから
脱原発も進まないのだと思うのです。

バビロンシステムは確実にある。
けど、そこに直接的に中指立て続けるのは本当に疑問なんです。
だからもうどんなに怒り心頭でもデモに行く事はないと思います。
ロックでもパンクでも何でもいいけど、
そのアティティードは常に時代と共に
アップデートされてこそ生きるんじゃないかと思うのです。
静かに、継続的に、他利的に、生きてこそ
自分も社会も変わることができるんじゃないかと思う今日この頃です。

個々が想い、社会に対して行動する、けどその前に
冷静になって考えてみることも今必要なんじゃないでしょうか?




9.19

Posted: 2011/09/21

昨日は明治公園にて行われた脱原発デモ行ってきました。
主催者発表で6万人もの人が集まったそうです。
NHKではこのことは放送されませんでした。
今朝、職場の人に話したらやはり知らずびっくりしてました。

公園内は写真の通り、人で溢れ返ってました。
暑さと人込みで下手すればイライラ絶頂でケンカでも
始まるんじゃないかと思いましたが、いつもの若者主体のデモに比べて
年齢層が高い(50代~)方が多かったせいもあってか皆、冷静でした。

共産党やらどっかの党派も多数集ってましたが
原水禁 はじめ反対運動をずっとされてきた方々も多数集っていたようです。

こう言った話をデモに対して意識のない人にすると、
「過激派」とか「革命家気取り」とか思われるのかもしれませんが
今は、もはやそういう時代ではなく、この土地に生きる人間全てが
気づいた人から動かなくてはいけない、伝えていかなくてはいけない、
それが当たり前のこととなっている時代なんだと思います。
実際に体験した訳ではありませんが、明らかに過去の学生運動や
その他の類いの社会活動とは意味あいも違いますし、
何よりはこれは人類にとっての大きな課題であることを忘れてはいけません。

原子力産業は、目先の甘い汁だけを享受して
その弊害、苦い汁のことは後回しに、つまりは
僕らより先の未来に生きる人たちに
そのツケを支払わせようとする仕組みに他なりません。

今ある原子力発電所から生み出された核のゴミを
クリーンに処理するには何千年という月日がかかります。
原始人が残したゴミを現代人が処理するようなものです。

このお金と深く癒着したシステムが変わるのは
もう僕らが生きている間ではないかもしれません。

↓はフランスで2年前に放映されたドキュメンタリー。
実際にここに出てくるフランスの再処理施設で先月事故がありました。
もちろんその実害については隠蔽されてますが、
それ以前から周囲には深刻な汚染があったようです。

放射性廃棄物〜終わらない悪夢〜


まずは、現状を知り、冷静に判断していきましょう!

ANTI NUCLEAR DEMO 2011.4.10

Posted: 2011/04/18