玄米菜食

Posted: 2011/11/07
このことについては
以前からマクロビオティックのことなんかと絡めて書いていましたが
その成果について報告していなかったな、と改めて思い
今日はそのへんについて触れてみようかと思います。

まず、そもそも魚肉をほとんど食べなくなったというより
各個体に食物連鎖によって体内に濃縮された放射能、
そこからの内部被ばくを避けるため食べなくなった、
ということが大前提としてあります。

また、考え過ぎだと言われるかもしれませんが
ケミカルな食事を与えられ肥えた家畜たちの肉を食べる気になれなくなってきたこと、
その背景にあるうんざりするような腐敗した産業構造、
そこに少しでも自分が加担していると思うと嫌気が差して来たのです。

笑ってガンガン食べている友達もいっぱいいますが
摂取し続ければ甚大な影響が必ず出ます。
まあ、個人的に強くそう感じているだけなので
絶対にやめろ!とは言いませんが…

とにかく
顔も見たこと無い、
どっかの誰かによる過失致死なんてまっぴら御免なんです。


今の社会、意識せずに簡易的な食生活を続けていると
知らないうちに胃、腸、臓器に負担をかけているようです。(お酒もね)

やたら下痢している人、便秘の人、まわりにもたくさんいますよね。
これは腸内で「不和」が起きている証拠であり
汚れが溜まったジャバラみたいなもんなんだと思います。

マクロビの大森一慧先生は「便」を毎日チェックしろ、とおっしゃってました。
そこに明日の健康へのメッセージがある、という訳です。

玄米を毎日食べるようになってから
便通は最高に快調な状態が維持できています。
胃や腸の調子が良いと、体はとにかく軽いです。
普段から、油や砂糖の多いものを摂取している人は
この感覚がすでに麻痺していまっているはずです。
コンビニや自販機にあるものは油で旨味を強く感じさせたり、
冷えた状態でも味がしっかりするように異常なほど砂糖を入れたり、
体を疲労させやすくしたり、冷やす(←これが一番の病の原因)物質がとにかく多いということ。
コンビニ入ってまともに食べれるものを探す方が最近は難しいのでは?

体が軽いと、脳も軽い感じがしてきて
雑念が排除され、とにかく集中力が維持されます。
イガイガして頭掻きむしるなんてこと全くなくなるはずです。
昔は集中力にはカルシウム!と思って牛乳を頑張って飲んだけど
結局下痢してソワソワしっぱなしでした 笑

思考がクリアになってくるに伴って、日々の充足感もアップします。
目の前の現実と、自分がここにいる意味が深く理解できるようになったと思います。

また、玄米を摂取しているから栄養面はOKだと思って
陰で暴飲暴食をやってしまうのは大NGだと思います。

人間の体は数学じゃないので、
埋め合わせ的に都合をつけることはできないと
実体験から感じています。

タバコもいつか止めるつもりで
もらいタバコが癖になっていた時期がありましたが
結局「0」か「1」でしか意味を成さないのです。

全ては摂取したものの積み重なり、それが自分の体です。

極端な話、死にたいか?生きたいか?との問いに
前者を答える人も少なくないのが今の世だとも思います。

クリアに見えなくさせる、思考を停止させる、
アンナチュラルな物質は堂々と僕らの日常に鎮座しています。
不死身と思っていてもいつかは必ず死が来るように、
「自分はそんなことはない」と思う自分を捨てるとこから
全てはスタートする気がします。

まあ、これは笑い話ですが
僕はタバコや加工食品に対して嫌悪感を覚えるようになったのは
ある日、自分がドブ川に浮かぶヘドロになる夢を見たせいでもあります。
人間、表面ばかり磨いても何にも成らないんだヨ…
とのメッセージでした。

玄米菜食然り、翌日から少しずつ浄化を目指しました。
自分の忘れ去られた「ニュートラル」を探す旅に出たわけです。
この旅路は記憶をさかのぼるかのようで実に楽しいものでありました。

タバコをやめたおかげで嗅覚は敏感になり、
幼少の頃に感じた街や季節の匂いを再び感じることが出来るようになり
繊細になった味覚は、生きるものの「気」さえ
味わうことが出来るようになってしまいました。
感謝→摂取のルーティーンを繰り返す度、
心の土壌が耕されていくのを感じました。

そして自分がすごくマクロな世界に入っていくのを感じるというか
色んなものがすんなり受け入れられるようになっていき、
日を追うごとに、呼吸をし、生を刻むことが
とても気持ち良い、という感覚を得られるようになりました。


その影響は制作やDJにも反映されてきている気がします。


約半年でここまで
意識改革が成されるとは自分でも思ってなかったので
何だか不思議ですけど、とても必然であるかのようにも感じています。

以前、「自愛は他愛に繫がる」と言いましたが
こういう心理の変化を言いたかったのです。

マクロビオティックって言うと偏見がある方もいらっしゃると思いますが
言葉や情報にながされず、自分の本当に欲しているもの、必要なものと向き合って、
質素に生きるのがネオ・ジャパニーズの在り方だと僕は思うのです。

毎日がその実践道場です。

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Posted:
木〜土の3連日DJ→友人の結婚式
と11月1週目は怒濤でしたが大充実の日々でした。
時間を共有したみなさま、ありがとうございました。

「友人」とはつくづく不思議なものであると思います。
縁あって出会って「時」を共有している。

今日の新郎の挨拶で
「出会っていても、共有している時間はごく僅か」
という内容の言葉がありました。

まさにそうで
結局は自分の知ってる他人のことなんてホント僅かな鱗片にすぎない。
それでも人は感性に、心に、シンパシーを感じそれと接触を試みる。
理性的な側面もあるけども、ほぼ無意識的なこの「繫がる」行為に
僕はとても逆説的に時代感を感じてしまいます。

今年、生きている皆が「今」を大事にしたいと思っているであろうし
ドラマティックな瞬間の奇跡に立ち会いたいと願っているのではないかと
察しています。

そんなわけで
今日はとても深い繫がりの意識を感じ、胸いっぱいで帰宅しました。

一期一会。そして愛。感謝!