糀屋へ行く

Posted: 2012/03/30

先日、地元となり町の真岡市二宮町(町名の由来は二宮尊徳)にある、
明治時代より続く麹屋さん「渡辺糀店」に米麹を買いに行きました。
ちなみに表記は「麹」でなく「糀」でしたね


店構えは至って簡素ですが、
なかでは元気いっぱいの女将がテキパキ働いておりました。
自家製味噌、甘酒、塩麹等も販売してました。
この日は幸運にも、乾燥や冷凍でない
出来立てのものを購入することができました。
ちなみにお値段、1kg/800円。


そのまま食べてもほんのり甘みがありおいしく、整腸剤としての効き目もアリ。
よーく見ると表面についているのが麹カビで、これが立っていると「花が咲く」と言うそうです。
この出来具合で、味噌や甘酒など、当然つくるものの味も変わってきます。
江戸時代には多くの麹屋が存在し、この味を競ったそうです。

生活に根付いた文化臭は、コンビニやスーパーなどの普及で廃れつつありますが
現在もこういったお店が地元で必要とされ、愛されているのは素敵ですね

飽食社会

Posted: 2012/03/29
住環境が変わり、ほぼ規則的にきっちり
一日3食たべるようになったら不健康になった。

と言ったら「えっ?」と思われる方もいらっしゃるでしょう。

ちょっと極端な言い方をしましたが、
ここ2週間で背中や腕、首などに蕁麻疹がでてきたので
最初は湿度や気温のせいかな?とも思っていましたが
これはもしや??と思い、数日朝食を控え甘酒一杯にし
一日2食にしたらあっさり完治。
昔はステロイド入り塗り薬を使って
一時的に良くなっても最終的に悪化の一途を辿るばかりでした。


これは肝臓が疲れてしまっていたんですね。
まあ、美味い酒があるのでつい毎日晩酌していたこともあるのでしょうが…笑

肝臓はいわば体の清掃工場で
体内に溜まった毒素を分解・排出する器官です。
アルコール分解はじめ、酸性過多になった血液を浄化したりします。
また、白砂糖や肉はこの肝臓の働きに負担をかけると言われています。
実際に、その量を減らしてみるだけで違いは体感できると思うので
一度試してみることをオススメします。

うんちくはさておき、
体がこのように合図を出してくれることはとてもラッキーなことです。
自分の健康を過信しない、体の声に耳を傾けることはとても重要です。
多くの病をこじらせる原因は、この「過信」にある気がします。

また、こんな事言うとひねくれているように思われるかもしれませんが
TVや雑誌で太鼓判を押している食文化を鵜呑みにせず、疑うことです。
この食材には、このビタミンが豊富で〜、といった謳い文句をよく耳にしますが
自然食材に含まれている栄養価は、分類できない未知のものも多数あるのです。
そういった微々たる養分が、実は生命維持に大事だったりすると僕は思っています。

目に見えないものを、科学的に実証させることによって
人間は不安要素を取り除き、日々の安心を得ようとしてきた成れの果てが、今の食/医療文化です。

病気をして、栄養をつけるためより食べようとするのは人間だけらしいです。
人間が特殊な動物であり、社会や情報のなかで生きていることを自覚すれば
もうちょっとこの不自然な医療制度や保険制度も変わっていくことでしょうし、
言ってしまえば、ユダ金から原発利権の話にまで影響するアクションとなることでしょう。
日々の消費こそが、選挙とおなじ「意思表示」であるのです。

これから食のこと、医療のことは
大なれ小なれ誰もが生きて行く上で学ばなくてはならないことになると思います。
自然の恵みは、共生のヒントや知恵を既にたくさん与えてくれています。

↓は70年代に発売されたそんな知恵の詰まったバイブルです。


一年前の3/14、福島第一原発3号炉が爆発し危険を感じ名古屋へ避難した際、
ステイさせてもらった友人宅のキッチン横に置いてあったのが僕とこの本との出会いでした。
そんな意味でも、今後学ぶべきもののガイダンスだったと思って
マクロビ、自然療法を約一年生活に取り込んできました。

最近では、こういう情報を共有できる仲間も増え、
(この増え方も不思議な縁を感じる出会いが多いのですが)
一生懸命勉強したり、気持ちをこめて作った食べ物が人に伝わり
「おいしかった」「元気になった」という言葉を聞き、
人の健康体=高い波動を感じると喜びを感じるようになりました。


今、学ぶべきことはここでしかできない!と思って帰郷したので
日々研究、精進しております。

人生の喜びはこういうとこから生まれてくるのかな、
とぼんやり感じ始めている春うららな日々です。

"YAKAZA ENSEMBLE meets SYUNOVEN"

Posted: 2012/03/28


MOOCHYさんの12inchジャケットやLINKAGEのフライヤー等で目にした方も多いであろう、
會津出身のペインターSYUNOVENのアートワークと
イスラム神秘主義「スーフィー」のバンドYAKAZA ENSEMBLEの楽曲を
邂逅させた作品が本日28日発売となりました。

来月4/29(日)は中野Heavysick Zeroにてリリースパーティーがあり、
僕もDJで参加させて頂きます。

KUNIYUKIさん、SHINKICHIさん×NU-DOHさん、そしてMOOCHYさん、
それぞれのリミックス入りEPの内容もかなり気になるところ。

まだ実物は手にしていないのですが内容とても楽しみです。

個人的には当日までに、「イスラム神秘主義」について
知識を深めておこうと思いました。

ベン君リリースおめでとうございます!!!


ラフ・ガイド・ライン

Posted: 2012/03/27


このブログの趣旨についてここ数日考えていました。

3年前の始めた当初は、自身の音楽活動の発表の場として
そこに準ずる思考のプロセスの記録として残せれば、
と思っていましたが、
最近は主に、音楽、デザイン、農、社会問題 etc
総じて自分なのはわかっているのですが、
もっと一つの筋をつけないと
よくわからないものになってしまうし
何か意識していたり、その時々のフィーリングだけだと
いずれ書く事がなくなるということに気がつきました。

つまりそれは、僕の人生に於けるメッセージが何か
より深く考えることでもありますし、
日々の活動に対して、一体感を持たせるということでもあります。

単純な労働奉仕としての仕事をやめて以来、
生きるために必要な術が何か、
何によって自分が生かされるか、
それをずっと動きながら考えています。
すべてを賭けてみたい!と思えるのが
本当のライフワークとすべきことと考えます。
道元禅師の「心身脱落」然り、
多くの思想で「悟り」と呼ばれるものは
己のために生きる道でなく、
生かされる道を探すことです。

放射能のこと、経済のこと、音楽シーンのこと…
従来の価値観にとらわれている必要はもう全くないと思っているのですが
人間は一人で生きている訳ではありません。
社会があり、助けあって生きています。
そこには自分とは違う価値観を持つ人の方が、
実は圧倒的に多いのではないでしょうか。
メッセージを発する際は、多少の傲慢さは必要と考えますが
排他的であったり、一方的であってはならないと思います。

揺るぎない自分と、頑固というのは別モノです。

伝え方はそれぞれで、楽しみ方も千差万別。

「筋」を外さなければ、今の時代、
それ相応の面白いことができるんじゃないかと思ってます。

知恵を蓄え知識とする

Posted: 2012/03/25
先週末は久しぶり(といっても10日ぶり)に上京し
CheekyでDJ→GLOCAL出勤でした。
会いたい人もたくさんいたけど、
限られた時間で濃厚な時間を過ごせました。
お世話になったみなさん、ありがとうございました。
GLOCALは新しい棚が出来つつあるので(続きは次回上京時に制作)
見やすくなった店頭に、ぜひ足を運んでみてくださいね

来月は6本ほどDJがあるので
この栃木←→東京ペースにも少しは慣れて
もうちょっと上手く時間割りできるようになれそうです。
わずか2時間の移動で、こんなにも風景やヴァイブスが変わるものなのね〜
と今さらながらしみじみ感じたりしました。



いよいよ春になり、畑も本格始動します。
師である母と作付け計画を立てているさなか、
何と家の向かいの土地を貸して頂けるという嬉しい話も舞い込んできました。
「えっ、ジャガイモってナス科だったの!?」…そんなレベルの自分ですが
実地作業を控えて、毎日本など読んで少しづつ知識を得ています。

今、食べ物の作り方を学ぶ意味。

これは一生ものの知識であり財産です。

生きることに直結した勉強は、全く苦と感じません。
知恵を蓄え知識とする、
これが本当の勉強だな、と思うのであります。

勘を巡らす

Posted: 2012/03/20


美しい里山の風景、おいしい野菜、人々が助け合ってゆく暮らし、
そんなささやかな幸せのなかで生きてきたシステムが一瞬に崩れさる。
そんなこと誰も想像したくないし、まさかこの土地にそれが起こるなんて思ってない。

東京を離れたら色んな角度の意見が耳に入ってくるようになりました。

情報は腐るほど世に溢れているけど、
最終的には「動物的勘」が一番頼りになるのかもしれません。
だって、時の首相でさえ、本当の情報は得ることが出来なかったのですから。

↓はドイツ人ジャーナリスト「ヨハネス・ハノ」が今年制作したドキュメント。
(これもいつ消されてしまうかわかりませんが…)

view from my town

Posted: 2012/03/19
僕が通った中学校のすぐ近く、鬼怒川河川敷よこの台地に
13世紀末「芳賀氏」によって築城されたと伝えられる飛山城跡に行ってきました。
城跡なんで、当然城はないのですが立派なお堀とクヌギやナラの雑木林があります。
そして、高台から鬼怒川と宇都宮市街を挟んで望む、日光連山の盟主とも言われる霊峰
男体山」(大きく3つ連なって見える山々の一番左側)

かつては軍事拠点として使われたらしく、この台地から狼煙をあげたそうです。
写真の茅葺き屋根の建物は、そんな兵士たちの詰め所として使われたものの再現。
半地下の建物のなかにはかまどがあったり、寝床として使った?小上がり等があります。

冬の夕方、天気が良いとこの西の方角に富士山が見えます。

改めて、自分の生まれ育った土地に、かつてどんな文化が存在したのか知ることは
名の由来はじめ、普段接する「食」「言葉」「音楽」などをより楽しむ
ヒントになり得ます。小さい頃は全然興味なかったけど、今これを知ることは
世代の壁をなくすツールとなると思います。まさにThink Local !!!

放射線量はこんな感じらしいです。(今年1月)
たぶんセシウム値なんでしょうが、他の核種は大丈夫なのか心配でもあります。


A OVERTONE SUPREME

Posted: 2012/03/18


来月4月20日、元住吉POWERS2にて
ディジェリドゥー奏者SOLEA君主催のパーティーが開催決定!

僕もDJで参加しますが、フライヤーも作成させて頂きました。
写真は以前札幌PROVOでのパーティーの際に使用した、
矢内絵奈さんのものと同じですが今回は迫力のA5サイズで仕上げました。

見かけたら是非チェックしてみてください。



自家製こんにゃく作りに挑戦

Posted: 2012/03/17
右下手前から、一年、二年、三年、土の中で育ったコンニャク芋。
ちなみに英名は『elephant foot』or『devil's tongue』!!!

1kgに対して3倍の水を加えてすりおろします。この状態でなめると「シュウ酸ナトリウム」のエグ味がすごく泣きを見ます (笑) この時点ではほんのりピンク色。ゴム手袋をしないとかなり手が痒くなります。

凝固させるために加水炭酸ナトリウム(かつては灰を水で溶いた汁を使った。貝殻から作ったものなんかも市販されています) を加えて15分くらい鍋で加熱してかきまぜます。鍋底がコゲつかないようかき混ぜ続けるのはなかなかの重労働です。火が入りかたくなってくるとだんだんグレーになってこんにゃくのいい香りがしてきます。

バットに入れて2時間くらい冷まします

適当な大きさにカットします

茹でてさらにアクを抜きます。その後、冷水にて冷やします。

完成!!酢味噌で頂く刺身こんにゃく!香り高く絶品です


社会の中庸はどこにある?

Posted: 2012/03/16
最近は原発のこと、瓦礫処理のこと、
考えれば考えるほど混乱してきます。

と、言うのは
認識の違いは個人で大きく隔たりがあり
地方での瓦礫処理に関してだって、
僕は1%でも危険性があるなら実施すべきではないと思っていましたが
(比較の対象にはならないかもしれないけど、口蹄疫のときの完全屠殺の対応を見ると
そういう未然対策が日本政府のやり方だったと思っていたので)
リアルに復興の妨げになっていると感じている人から言えば
それは、あまりに自己中心的な発想なんじゃないの?ってことになるからです。
そりゃあ、復興して欲しいし、そこに住む人の暮らしを思うと胸が痛みます。
結局は経済やお金、人生の感じ方も、「あの日」以来細分化しつつも
端的に分離しつつある感じがしています。

あっちの人らはこういう意見だから、と一元論的に白黒言いがちだけど
グレーの人もいれば、7:3の考えの人だっているのが現状であり「社会」であるのは普遍です。
肝要なのは、自己の考えを持ち日常のなかにそれに対する姿勢を実行すると同時に
社会の中庸的意見がどこにあるかをよーく見据えておかなくてはならないことです。
現在日本の民主主義に於いては「多数」を占めるものが「社会一般」と認識されるのが現状。
そこを無視しての意見は門前払いを受ける、相手にされない、偏見の目で見られ浸透しない、
ということを、意見を言う人は十分に認識しなくてはいけないと思います。
実際に様々な職種、年代の人らと話を実際にぜず、
twitterばかりみてると頭の思考も偏ってきてしまう気がします。
現にtwitterやっていない人口の方が圧倒的に多いのですから 笑

僕は、福島や岩手の瓦礫山積みの現状を実際に見ているわけではないので
断定的なことは何も言えないと思っているのですが
実際のところはどうなのでしょう?

瓦礫は本当に地方まで持っていかないと処理しきれない量なのか?
焼却から出る放射能濃度だって、実際に測定したと言うけど
燃やした瓦礫の部位や回収した地域によって差は出るんじゃないのか?
…など、肝心要の知りたいとこはTVじゃ報道されません。


東京を離れたことによって
社会の風の感じ方も大きく変化しました。

東京にいて、ものすごい数の人の渦のなかにいると
「反原発」のネガティヴな部分のパワーばかりを受けすぎて
本当の意味での調和を考える、感じる余裕すらなくなっていました。
とにかく「怒り」や「不安」が先行する。
これは情報過多の状態であったのかもしれませんし
咀嚼する器が自分になかっただけかもしれません。

いずれにしても、最近考え方は少し変わってきました。

原発はない方がいいに決まっているけれども
様々な人の「暮らし」や「豊かさ」を考えたときに
どういったライフスタイルの提示が支持されるのか?

そこに自分が「生かされる」道のヒントがあると確信しています。
この先一年くらいで、その答えを見つけなくてはならないし
そのために、ここに今いるんだ、という気持ちで日々自分のケツを叩いています



農ライフ

Posted: 2012/03/15




今日は念願の畑デビューでした。
じゃがいも3種を作付け。
やはり、やってみないとわからないことも多々あると実感。
今年一年は、まず基本をじっくり学びたいと思います。

seed! seed! seed!

Posted: 2012/03/13
今日、「たねの森」にて、今年作付け予定の種子を注文しました。
ここの種は、F1(一代交配種)でない、エムアール種とか固定種と呼ばれているものを
厳選しています。

東京にいるときに、せめてベランダ菜園をやろうと思って
種を買いに、とりあえず近所のホームセンターに行ったら
そのほとんどはアメリカ、イタリア、チリ、インド産などでした。
これらは、遺伝子組み換え作物について調べてみたことのある人なら
ご存知かもしれませんが、まさにアグリビジネス先進国でもあり、
実際に近所で売られているほとんどがそうであったことに
ショックを受けたことは言うまでもありません。

僕はこういった、原種を扱う店については
今年になっていざ自分で畑に取り組もうと思うまでは無知でした。
きっかけは西荻窪のほびっと村でしたが、
近年は頻繁に、自分の畑で大事に育て収穫した一つの作物の種を
同じように他の畑の方と交換する場が設けられているそうです。
理由は、単純に一つの家で多くの原種をつくるのは難しいからです。

日本が既に遺伝子組換え作物の消費大国であることを認識した上で
幅広い層の間でTPPへの反対 / 賛成を議論すると同時に、
こういう交流を兼ねた動きが定着していったらいいな、と思います。



物質的豊かさと繋がり

Posted: 2012/03/11
それぞれの1年。

大きく価値観が変わった人もたくさんいらっしゃることでしょう。
もちろん、僕もその一人です。

「東京」と「自分」
そして「世界」と「自分」

自分が先に進むため、
何をして生きるべきか
1年間よーく考えた結果、
このタイミングで地元・栃木に帰ってきました。

満12年の生活を経て得たものはたくさんあり、
20代をどっぷりそこに浸かって生きたことは
これからの人生での価値観を形成する基盤となりました。
素晴らしい人やモノとの出会いは
格好つけて言えば必然だったと思うし、
奇跡的としか言いようのない偶然にもたくさん出会えました。
酸いも甘いも、めぐりであったと思って全てに感謝です。


地元があるというのは幸せなことです。

『Think Local, Act Global』を考えたときに
そこには、「のびのびやれる環境でやれ」
というメッセージも内包されている気がします。

良いこころの状態で生み出されたものは
良い波動を放って、きっと遠くの人まで届くことでしょう。

僕の新しい部屋からは雑木林が見えますが、
幼少の頃の「庭」の息吹を感じると、
こころが弾みます。
これからの制作が楽しみです。



今日は国会議事堂でも
人間の鎖がつくられ1万人以上がこのデモに参加したようですね。

僕なりの脱原発アティテュードはここ1年で
「毎日の日常からの抵抗」
「世代間の意識交流」
この2点が大きく占めるようになりました。

前者は、
食養や自然療法、民間療法などを取り入れ、
病気をしないこと。放射能に負けない体をつくる。
なるべく病院や薬の世話にならない。
それが横行する利権への抵抗になるはずです。

そして後者は、
これが特に今、重要なことと考えますが
より多くの人と接して、社会の意識の流れをみつめることです。

やはり、親に僕が放射能や原発の話をすると偏っていると言われます。
まあ、つい感情的になってしまっているせいもあるかもしれませんが…
リベラルな意見は導き出すことはできないと思いますが
人と繫がる、この感覚を皆が意識的に持つようになればいいと思います。

「分離」というキーワードを以前取り上げましたが
放射能は「極陰性」であって、透過した人間の細胞を破壊し
分離させます。その体を経て湧き出た感情や波動、
形成される社会のコミュニティーの行く末はどうなるでしょうか。

目に見えることが全てではありません。

世の中、宇宙には人間が知らない事象のことの方が
圧倒的に多く、大げさに言えば「化学崇拝」
人間のその盲信が、戦争に象徴されるような
不和を生んでいる気がします。
僕らが見ている世界は
物質的側面から言えばほんの一部です。


あまり言うとまた偏ってると言われそうですが
日本の伝統的な信仰や天皇などを日常的にみて
まわりの人たちは一体どう理解しているのかかなり気になります。
これも自然や神と「繫がる」意識から来ているのではないでしょうか。
大昔は、この意識がきっと当たり前にあったからこそ
現在これだけ多くの社寺が残っているのでしょう。
もちろん、宗教が政治に利用されてきた歴史を踏まえた上で
そう感じています。それだけ身に染み渡っているというか。

物質的に豊かになればなるほど
この感覚は薄れていくことでしょう。
狩猟時代に食料の調達に四苦八苦してた時代から
人間は常にこころの「安心」や
生活の「安定」を求めてきたのですから。
だから目に見えるもの、結果がすぐにでるものは
一般的に浸透しやすいのだと思います。

今はその最果てにいる状態なんじゃないでしょうか。


音楽を続け、世界の音楽やトライブを知れば知るほど
自国と自分のルーツを知らなくてはならないと感じるようになりました。

これも、東京と地元にいる感覚と同じで
一回外に出てみないとわからないことが多いかもしれませんが
日常の当たり前のなかに、前進するヒントが隠されてると思って
これから先、
オープンマインドで、地に足ついた視点を養っていきたいと思う次第です。

1年前の今日がそうであったように
価値観なんて明日になれば180°変わってしまうのが人間です。

だから、固執しない、馬鹿になる、ムキにならない…
そんなスタンスで今年は伸び伸びやるぞーっ

世界の教えと内的世界

Posted: 2012/03/01
今、気づいてみれば毎日音楽に触れる日々を過ごしています。

音楽はむずかしい決まり事があるように思われがちだけど
本当はそうじゃない。
一音の響きが、瞬間の感情を内包した声が、
「偶然的」に織りなす奇跡的旋律だ。
アートも同じだけど、「なぜ」や「どうして」を
定義付けようとするからややこしくなるのではないだろうか。
ただし逆に、純粋無垢なものが美しいのは大前提として、
その定義や技術を、科学し構築してもそれはアートと成る。
定義のなかで遊ぶにも、センスがいるからである。
空間的で叙情的、哲学的で科学的なこの遊びは、
先史時代からヒトのココロを揺り動かし続けてきた。
だから人々はそのなかに人生の教えを託し、口承とした。
僕らがいま、日々触れる音楽はその延長線上に確実にあるのだ。
その感覚を大切にしたい。
酩酊させる倍音や、涙腺を刺激するメロディー。
そこに人の「理性」に依存しない本質を見いだすことが出来るし、
「ワールドミュージック」と現在呼ばれる音楽になかには
はっきりと共生のための理想と実現のヒントが隠されている。
右も左も白も黒もない。
この道を歩み生きる事は、
自分の内的世界と向き合うことでもある。
内的世界の奥の奥には、
他人と繫がる扉があって、
全てを共有できるのかもしれない。
ライヴは「気」の交流です。
一度それをやると、自分の開き具合もよーくわかる。
もっと知りたくなるし、繫がると喜びを感じる。

これだから面白くてやめられないという訳です。




80歳を超えてなお現役の歌うたい、アフリカ東海岸ザンジバルの「ビ・ キドゥデ」さん