小学生のときノートの上の隙間部分に
ガンダムに出てくるハロボールをパクったようなキャラで
ずーっと横にスクロールしていく漫画みたいのを書いていました。
落書きから始まったその話は宿題サボってまで書くようになり
毎日とまではいかないけど頻繁にストーリーも更新していって
最初の読者だった隣の席のやつは「つづきまだ?」といつも心待ちにするようになり、
気づけば、数名のコアなファン層が結成されていったのでした。
この話は10冊目くらいに突入して自然消滅していってしまったけど
今思えば、続けていたらどうなっただろう?
あのときは続ける熱意も度胸も
それらを体系化する知恵もなくて
中学生になったらそれは記憶の彼方に葬られたのでした。
「才能」というのは何だろう?
美術大学を受験しようと思ってた頃は毎日そんなことばかり考えてました。
答えは出ないまま、技術を習得し進学したけど幻滅する部分もあって
DJをやっているうちに音楽のなかに人間を構築するエモーションをみつけ
これしかない!と思い自分探しとダブらせてのめりこんでいったのでした。
いま、ほぼ無意識的にmacのキーボードをこうやって叩いている瞬間。
無意識ではあるけど、厳密に言えば意識の先には
今これを読んでいる人たちのことがあるのです。
東京で凄い才能をたくさん見ました。
文を綴ることに対して自分が特段秀でていると
思ったことはそれほどなかったのですが、
このBLOGをはじめてから日に日に反響が出てくるようになりました。
気づけばもう3年以上続いているこのBLOG。
あの頃書いてた漫画の意識とダブってくる。
過去にも書きましたが、
僕は匿名性を持ってDJをするタイプではないし
もはやそんな時代でもないと思っているので
なるべく他の人が書かないようなありのままの自分を書こうと、
特にここではそうしよう、と決めたのでした。
すると不思議とまた新しい反応してくれる人がやってくるのです。
必ず見方は現れる。人生の連鎖の鉄則を見ているようです。
「才能」の答えは掴みかけてて未だ掴めないけど
裸になる度胸を持った上で、想い、続け、かたちにすること、
それが出来る事、その延長線上にある気がしています。
…けど最近は「才農」傾向。
「不耕起栽培記」
マジなんで宜しくお願いします。
何にマジかと言えば「これから生きる道の模索」です。
ここから、また僕の旅がはじまるのです。
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