8周年&発売記念!
Posted:
2012/04/27 –
11:09
4/27(金) 今夜はいつもお世話になっている吉祥寺WARP8周年記念イヴェント『SEVEN STEPS TO HEAVEN』 沖縄からのアノ人やいつもいるアンナ人も大集合・ライヴもあったりお隣CHEEKYとも行き来自由だったりと、まさに宴!僕は2:00〜3:00ラウンジフロアで祝いDJです。 http://bit.ly/aM6Vsj
そしてもうひとつおめでたいパーティーが日曜・中野HEAVYSICK ZEROにて。仙台在住のペインター「SYUNOVEN」の作品集リリースパーティー。先日内容拝見しましたが、同世代として大変刺激受けました。(コメントが大友克洋とジョー・クラウゼルというのも凄い…)豪華メンツ&当人のライヴペイントもありますのでとても楽しみです!http://www.heavysick.co.jp/zero/
週末記
Posted:
2012/04/24 –
8:40
13日の『SPRING MADNESS』@WARP、
20日の『A OVERTONE SUPREME』@POWERS2、
22日の『SUNDAY PEOPLE』@CHEEKY、
お世話になったみなさん、有難うございました!
21日土曜はCheeky店主アビーのご好意によりMoochyさんのイヴェント『MOMENTOS』にてバーカウンターにも入らせて頂き、超濃厚で楽しい週末を過ごせました。
宇都宮←→東京間の移動にも慣れ、意識の振り分けと言うか
こちらの生活/制作基盤から東京でいかに動くべきかも見えてきた気がします。
東京の仲間、街、空気からまだまだ刺激も吸収できると感じたし、
必要とされるならいつでも出向きたいし、まだまだやるべきことがある!といった感じです。
栃木の朝は東京に比べるとまだまだ寒く、
「八十八夜の別れ霜」と言われる雑節があるように
立春から87日後くらいまでは遅霜による農作物への被害があると言われています。
今年は特に寒いので、慎重に作付けタイミングを見計らっているのですが
そろそろかな〜、という感じで東京の夜に身を埋めながらも
頭の片隅ではこのことが常に気がかりでした。
実は2週間ほど前に家の隣の空き地を開墾し、
不耕起栽培をするための畑を作りました。
完全な自然農とは違い、最初だけ耕す農法ですが
地球へのインパクトを少なくする方法として有意義だと考えています。
遮る樹木もまわりになく、日当り全開なのは良いのですが
若干の近所の目も気になりつつも…これはやらずにはいられない!!
と思い切って開墾しちゃいました。
自分の勉強メモのためにも、ここに書くより細かく書きたいと思ったので
現在「不耕起栽培記」ブログを準備中です。
近々公開しますのでお楽しみに?しててください〜
LAST AMBY
Posted:
2012/04/07 –
16:32
自然人
Posted:
2012/04/04 –
21:52
農に触れる生活を送りながら、ずっと気になっていたことの疑問がやっと解けました。
「テレビや雑誌でなぜ、こんなにも農業や田舎暮らしがピックアップされているのか」
自給率を上げることを目的とした国策ならば、
減反政策を取る意味がわからないし、
農林水産省がウン百万出し雑誌の企画を買収してまで
有名人に田舎の畑体験させていることetc...
ちょっと過激な話になるかもしれませんが
精神科医であり画家でもある吉田脩二著『感じる力』を読んで思った点がいくつかあるので
自分がこの分野にどっぷり首を突っ込む前にここに書き記しておこうと思いました。
そもそも「自然人」とは何なのか?
僕はその答えは、自然を愛すること、すなわち日本人的感性から言えば
八百万の神を感じ生きる生活を送ることだと思っていました。
美しい田園風景や里山の景色に心癒される経験は多くの人が持っていることでしょう。
そんな景色のなかにいて最近は「農耕文化」の起源について考えていました。
裏の林を抜ければ、そこには写真のような田畑の真ん中に不自然に残された
道祖さんを祀った神社やほこらが至るところに存在しています。
実像を持たない、山や川、それ自体をご神体として崇拝してきたのが日本の神道です。
確かに、その場の燐とした空気や太古の歴史を感じる佇まいは
スピリチュアルな何かを感じずにはいられません。
農耕を生業としてきた先祖たちが、自分や家族の存命を左右する
「自然」に対し畏敬の念を持ち接したことは納得のいく話です。
しかしながら、哲学的な分析になりますが本当の人間の
「あるべき姿」「ありのまま」とは一体何なのでしょうか。
そこを紐解く鍵はこの「農耕文化」以前の「狩猟文化」にあったのです。
日本においては縄文時代までが狩猟時代であったと言われています。
この時代に生きた我々の祖先は、「時間」「富」「序列」といった
現代わたしたちが当たり前すぎて疑いもしない概念自体が存在していませんでした。
農耕民のように過酷な自然状況のなかで「いかに生きるか」よりも
自然と共に「いかにあるか」ということが重要であったのです。
農耕文化は季節や生産性を意識しなくては成り立ちませんので
勤勉実直な性格の人間が良しとされます。
これって、現在の資本主義経済と似てると思いませんか?
戦後の私たちの祖父母は「エコノミック・アニマル」と呼ばれ
その勤勉さに欧米諸国の人たちは驚いたそうです。
その頑張りのお陰で現在の豊かな生活を教授している自分があるのですが
とりわけ日本は四季があり、チームプレーを重視しないことには
農耕社会が成り立たなかったので、こういった勤勉な性質を持つようになったとか。
「現在」「過去」「未来」の概念も然りで、農耕以前には「今」が全てであったのです。
あるがまま生きたいと願う人は年々増えていると思うし
この風潮はヒッピームーブメントのような一過性のものでもない気がします。
日本の農耕文化の起源は2500年前と、実は世界の中では遅いほうで
現在わたしたちの中にある感性は諸外国の人たちとは少しズレているのかもしれません。
正直言ってここ一年くらい頭ひねりながら書こうとしていたことがほぼ書いてあって、
美しい田園風景や里山の景色に心癒される経験は多くの人が持っていることでしょう。
そんな景色のなかにいて最近は「農耕文化」の起源について考えていました。
裏の林を抜ければ、そこには写真のような田畑の真ん中に不自然に残された
道祖さんを祀った神社やほこらが至るところに存在しています。
実像を持たない、山や川、それ自体をご神体として崇拝してきたのが日本の神道です。
確かに、その場の燐とした空気や太古の歴史を感じる佇まいは
スピリチュアルな何かを感じずにはいられません。
農耕を生業としてきた先祖たちが、自分や家族の存命を左右する
「自然」に対し畏敬の念を持ち接したことは納得のいく話です。
しかしながら、哲学的な分析になりますが本当の人間の
「あるべき姿」「ありのまま」とは一体何なのでしょうか。
そこを紐解く鍵はこの「農耕文化」以前の「狩猟文化」にあったのです。
日本においては縄文時代までが狩猟時代であったと言われています。
この時代に生きた我々の祖先は、「時間」「富」「序列」といった
現代わたしたちが当たり前すぎて疑いもしない概念自体が存在していませんでした。
農耕民のように過酷な自然状況のなかで「いかに生きるか」よりも
自然と共に「いかにあるか」ということが重要であったのです。
農耕文化は季節や生産性を意識しなくては成り立ちませんので
勤勉実直な性格の人間が良しとされます。
これって、現在の資本主義経済と似てると思いませんか?
戦後の私たちの祖父母は「エコノミック・アニマル」と呼ばれ
その勤勉さに欧米諸国の人たちは驚いたそうです。
その頑張りのお陰で現在の豊かな生活を教授している自分があるのですが
とりわけ日本は四季があり、チームプレーを重視しないことには
農耕社会が成り立たなかったので、こういった勤勉な性質を持つようになったとか。
「現在」「過去」「未来」の概念も然りで、農耕以前には「今」が全てであったのです。
仮に明日、自分がこの生き方を100%遂行しようとしたものならば
あっさりダメ人間、使えない奴として社会から駆逐されてしまうことでしょう。
あるがまま生きたいと願う人は年々増えていると思うし
この風潮はヒッピームーブメントのような一過性のものでもない気がします。
日本の農耕文化の起源は2500年前と、実は世界の中では遅いほうで
現在わたしたちの中にある感性は諸外国の人たちとは少しズレているのかもしれません。
正直言ってここ一年くらい頭ひねりながら書こうとしていたことがほぼ書いてあって、
さらにディープなところまで展開しててびっくりしましたが
「禅」や「瞑想」、「脳科学」から「宗教」まで横断して展開するこの本、
新書で200ページくらいなので論理に欠ける所もありますが刺激的でオススメです。
この数千年続いた意識社会のが変わる瀬戸際を生きているのかもしれない思うと
ちょっとゾクゾクしちゃいますね。