気づけばあっという間に2011年も後半戦。
3.11の大地震はこれから先、何があってもおかしくないぞ、
という暗示であったかのようにも思うことがあります。
実際に信じられなかったようなことが起きそうな予兆は多々ある。
世界経済の行き先、原発、食料危機。。。
先月印象深かったことは、
2008年、ビジネスウィーク誌が世界で最も影響のある8社に名を連ねる
〝モンサント〟社による遺伝子組み換え作物を日本に輸入することに対する
パブリックコメントを農林水産省が公募していたこと。
ここ数日の東京の、冷夏なのかと思いきやの猛暑、もそれを感じさせるものでしたが
これから先、食料難の時代がやってくるだろうという意見を最近目にすることが多いので
何だか心配になります。
最近はスーパーで納豆を買う際にも、
安いのだけどよ~くラベルを見ると「大豆(カナダ産)」とか書いてあるものは
過敏だよ、と思われるかもしれませんが意図的に避けるようになったりもしてきました。
と言うのもGMO(遺伝子組み換え作物)の生産地域を見ていただきたい。
主に、アメリカ、カナダ、中国、ブラジルである。
これらの生産国は100円ショップでもよく目にする国名でもあります。
世界の経済が困窮すると、利益追求のために生産者たちは
仕入れが安く、利益の大きいものを選ぶようになります。
モンサント社の種子は遺伝子組み換えによって農薬を使わず
害虫に強い作物を育てることができる、というのが売り文句です。
がしかし、実際にはその成果に対して多くのクレームが出ているにもかかわらず
強引な手腕でそれらを国民の生活の中に溶け込ませようと思案しているのは目に見えてます。
(ちなみに、この会社はベトナム戦争時には枯葉剤を製造していた企業としても有名。)
3.11直後のスーパーやコンビニからの食品の消滅。
あの光景を目にした後だと、
食料難のときにとる人間の行動も何となく察しがついて
例えば今年の天気が最悪で、しかも放射能で汚染さらたものしかなく、
食べるものがなくなったときにまずは自分が生き延びようとする、
そんな動物的本能?が怖くなることもあります。
我々にとって平和な世の中とは何なのだろう?
常々考えます。
金で夢みた、毎日おいしい食べ物に囲まれる暮らしは
世界中で餓死していく子供がいる現状の裏で
本当に平和な世と言えるのだろうか。
僕は日本人が元来食べてきたものがずっと好きなので
それらが当たり前に食べられるようになって欲しいと
本当当たり前に思うのであります。
食べることが生きることと仮定するならば
僕らが日々せっせと稼ごうとしているお金はまずそのためでもあると言えます。
最近、結局自分にとって等身大でない〝金〟を使うのであえば
なるべく可視範囲内で使おうということを心がけるようにしています。
例えば自分が昼飯を食べて、
そのお金で今日を食べることが出来る人がいる。
ジュースの自動販販売機が日本には500万台もあって
そのトータル電力は原発施設一つ分、1920億円使っているって知っていますか?
駅前の牛丼屋、ハンバーガー屋、100円ショップ、コンビニ、そして自販機、、
我々が生活する中でイージーに手に入るものの裏にはそれなりの理由があるということ。
非買、とまではいかないささやかな抵抗ですが、
戦時中には戦時中の暮らしがあったように
これが現代、として受け入れるしかありません。
そしてこれが僕の3.11以降に決めた
社会に対するけじめであります。
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