今週末土曜は静岡RajishanにてDJ行ってきます。
M8クラス巨大地震がいつ起きても
おかしくないと言われている昨今ですが、
静岡はまさに御前崎にある
浜岡原発(東名高速からも見えます)
がある場所です。
ちょうど今日、
現在点検停止中の原発を7月から
再稼動するというニュースがやっていましたね。
http://bit.ly/kEjjgS
これに対し、静岡県の川勝知事は
「中部電力が示している津波対策は不十分で、
現状のままでは3号機の7月の運転再開を認めるのは
非常に難しい」と反発しています。
元設計者も
浜岡原発は地震に耐えられないと証言しています。
http://bit.ly/fw5bT9
原発問題を考えるとき、
僕は想像力の欠如を促してきた
今の社会風潮にも問題があると思います。
手のすぐ届くところに欲しいものがあり、
一方的に与えられる事の方が圧倒的に多く、
自分で能動的に考え、行動する、という
動物的感覚にフィルターをかけられてきた結果が、
この危機意識の欠如にも少なからず繋がっていると思うのです。
先日杉並区の区議会議員選挙がありました。
立候補者の意見と共に、この街についても調べてみたのですが
ここ杉並は1954年の「第五福竜丸事件」後の
反原水爆運動、主婦が中心となり発足したその署名運動
最終的には全国で32,590,907名(日本の人口の1/4 !!)
もの人数を集めた(http://bit.ly/mo1xlS)
始まりの場所でもあるのです。
その民意が何処にいってしまったのか
それも気になるところですが
反原発を言おうものなら、
大きな権力に干されることを見越してか
そういった主張を真っ向から言う議員は
ごくわずかなことに僕はまた落胆しました。
近い存在であるが故になおさらです。
では
当時の運動で活躍なさっていた方々はどうしているのか?
なぜ、東京都民は原発を推進する石原慎太郎を選んだのか?
冷静に考えてみた。
もう亡くなっているのである。
65年前の出来事、
その当時25才の方だったら、もう90才。
存命の可能性の方が低いのは容易に想像できます。
また、もう一つの理由としては
1953年に米大統領アイゼンハワーが提唱した
“ATOMS FOR PEACE”でしょう。
これによって、原子爆弾ではない、
クリーンな核利用はOK、という風潮が
広まったことも想像できます。
また、これは持論ですが
祖父母、親子が一緒に住まない、
「核家族」が増えたことにも原因があるのではないかと思っています。
世代間の意識の隔たりは
どこかの誰かが与えた美意識によって大きくされ
また、
「和」を重んじる日本人の感性とも相まって
大衆意識はレスコミュニケーションでイージーな決断を
仰ぐような方向へと進んでいってしまったのではないでしょうか。
「会話」という、「会って話す」文化さえも、
無意識的に皆の日常の中から
忘れ去されようとしているような風潮さえ
最近は感じます。
アフリカには集会場が今も多くあるそうです。
それは昔から、人々は会って互いの“生”を
確かめていたからだと思います。
現代を生き、繋がる、ということの意味を
日々僕自身も自問し続けています。
Never Stop Thinking About Future..
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