パーティーやるにせよ、音つくるにせよ、
最良のことは何か、そこまでを求めるプロセスが大事なんじゃないかと思う。
昨日、友達のDJが、
とあるイベントにブッキングされたんだけど、
集客ノルマ30人とか言われちゃって嫌になっちゃった、
という話をしていた。
主催がそう言っちゃう気持ちも理解できないわけじゃないが、
じゃあ君の追い求めるものは金なのかい?
客はそのコマに過ぎないのかね?と感じてしまう。
制約から解き放たれたいのならばその場を捨てればいいと思う。
僕の尊敬するDJに、地元の公民館にサウンドシステムを入れて
パーティーをやった人がいる。
1月にWARPでやったパーティー、“LINKAGE”でZINEをつくった、
それには広告もないし、言論に対しての制約もない。
一見、自由を謳歌しているようでも
自分自身でつくりあげてしまった檻に閉じ込められてしまっている事ってよくある。
手前のチョイスでありながら、その状況に対し文句を言う方も多々いらっしゃる。
盲目である。
目的地はどこにあるのか。
無駄なものを削ぎ落とし、本質に到達しようとするという考えは
どこか現代の生き方にも通じるものがあると思う。
自分が自分らしく表現をするにはどうしたら良いかを考えたとき、
まず評価されたい、と思うところから脱却しなくてはいけない。
しがらみから距離を置いて、冷静になって観察してみるといい。
自分の純粋な気持ちはどこにあるのか、
リアリティーは何なのか。
0 コメント:
コメントを投稿