「おしつけがましさ」と「個性的であること」
表現や生き方に於いて、
この二つのことを混合しちゃってる人って意外と多いんじゃないかな。
けど気付いてない、自分もそうだったな、とふと仕事中に今日思ったのです。
音楽やアートを勉強して、「個性的であろう」とか思ってた時期もあったけど
そこだけ見て突っ走ってると自分以外の人間にとってはそれってただの「押しつけ」にしかならないことって多々あって、例えば自分のお店で自分が気持ちいいと思う音楽をデカい音でかけていても食事に来ているお客さんの目的はおなかを満たすことであって音楽を聴きにきている訳ではない。個性的なお店を演出するつもりが結局は何も相互に良い方向に働いていない。
まあこれはちょっと極端な話だけど、自分の世界観を他人の人生の中にいかにスマートに、そしていかにささやかに提供できるか。これって一つの表現の「キモ」っすね。
大人の定義の一つに「社会性」の有無があるならば
表現者であるならばこれは避けては通れない道。
子供のままのピュアハートも大事だが、
ここはネバーランドじゃないんだぜ、ってことで
今日は、ザッツ大人!の結論でした。
おやすみなさい
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