闇の奥には光がある

Posted: 2012/11/07
数年前、精神的にとてもキツい時期がありました。
他人から見れば大したことではないのでしょうが
自分にとっては毎日が五里霧中で、
只々こころを擦り減らす日々で、いつかそれが
りんごの芯みたいになっちゃうんじゃないかと本気で思っていました。
精神科のある診療所の前まで行って、そこに入ったら帰ってこれなくなる、
と思ってとっさに家に引き返したこともありました。
とにかく答えの出ない闇のなかを彷徨っているような感覚の毎日。
それでも周囲のテンションに必至についていこうと無理をしますから
からだにその歪みが返ってきて、やたら風邪をひいたりしていました。

自分がそんなんでも、幸運にも目にかけてくださる方や優しい友人はいて
懸命にアドバイスをくれたり、世話を焼いてくれるのですが
殻に籠ったままのこころでは、それらも焼け石に水のようなものです。
今思うと、何て蕪村な態度で臨んでいたのだろうと
感謝の念と共に申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまいます。

毎夜、真っ暗闇のこころのなかを歩きながら自分の生きてる意味を問う。
何のために生きるのか?答えを見つけたくて必至にもがいていました。
むしろ、それを明快に出すことが出来ないまま生きることは出来ない、
とさえ思い詰めていました。

しかし、この闇は重要な教えでありカルマでもあり、
その先に光がいずれ指すことをこのとき知っていましたから
自身を保つこころだけは折れることは決してありませんでした。


小学生のときテストで96点をとって自慢気に父親に見せたら
「100点でないと意味がない」と言われたそのときから
学校での勉強についてはずっと疑問を抱いてきました。
きっと今だったら「じゃあみんなが100点取ったらどうするの?」
って聞くことでしょう。
本当の勉強はすべてストリートのなかにあったと思っています。
すべては自分をさらけ出したときから始まる、と知りました。
芸術に答えはありません。そのときの自分すべて、
ありのままが作品となり、放たれ、世を泳ぎ渡っていきます。

進学校で廃部寸前、部員3名の美術部に入ったのは高校3年のときでした。
自己分析をすると、感覚優位で生きてきたのだなぁ、と思いますが
人生を照らす明かりのひとつはこの道にある、と
このとき既に確信していたのでしょう。
偏差値社会の闇から抜け出す道はこれしかなかった。(と当時は思った)
これが僕の人生の於いての最初の光だったように思えます。

環境が修繕されたいまだから言えますが
上京してきた頃は家族関係も決して良いとは言えず、
そのフラストレーションのエネルギーをぶつけるかの如く
毎夜のようにダンスフロアーに爆音を投下したり踊ることで自身を保っていました。
NO FUTUREまるだしでDJしていて、暗い、渋い、ドープ…そんな音ばっかで、
その影響は今も否めませんが、、とんだエゴ丸出し野郎でした。
そんな日々は結果10年近く続いたのですが、
横の繋がりで生きるという、社会ビジョンをそのなかに垣間みたことも確かです。
人と繋がれない孤独から来る自殺が社会問題となってきた時期とも被り、
この時期にそういった生き方をしていたことは「教え」以外の何者でもありません。

このように自分の過去を振り返っても、
闇のあとには必ず光がありました。
しかしそれは、か細く、何より自分自身での
「気づき」がない限りキャッチできません。
掴んだら、それを遠心力を利用するように
うまく勢いづけて、太く、大きくしていけばいい。

闇と光は表裏一体。
闇を先入観で恐れることは、何も意味がありません。
大きく深呼吸して、じっくり向き合い、それさえも
楽しみにしてしまいましょう。


最近、僕が発信したいメッセージは何なのか?
と言いますか、言いいたいことは山ほどあるのですが
うまくまとめられず、ずっとこのBLOGは放置していました。

僕という生き方は一つしかないし、それがメディアにさえなる時代。
今日はちょっと重く「闇」の話でしたが、
幸せに楽しく生きるためのコツをこれからは綴っていきたいと思います。
そのためにまず、自分が最高に人生を楽しみ謳歌することですね。

先日出会った言葉で
「笑い」は「和来」であって「和が来る」との意
というものがありました。

この魔法の波動を、言葉に置き換えて伝えるのが目標です。


なぜ今「農」を学ぶのか

Posted: 2012/08/28
なんという気まぐれなブログになったことでしょう。
自嘲してしまうくらいマイペースに「頑張らずに」更新してますが
こんだけ長い間書かなかったことは開設以来ありませんでした。
もうコケが生えかけてますよ〜、と自分に言い聞かせてます。
その間、チェックして批判、期待、はたまた呆れ、
少しでも感情を巡らせ、ここに想いを馳せてくれた方がいたことは
存じております。ありがとうございます。


日々劇的だと「思っていた」東京生活を離れて早半年。
まあ、夢を持っていればどこにいても同じかな、というのが最近の感想です。
今年の春夏、僕は何をやっていたか?といったら「畑」としか言いようがありません。
とにかく本気で、今、このときに「農」を学びたいと思った。
農家になりたい訳ではない。なぜ「今」なのかと言えば
それがこれからの生き方の1つの基軸になると直感しているからです。
塩見直紀氏のことば「半農半X」…
3.11以降この言葉は自分の脳裏から離れないどころか
日々その重みを増していっています。
自由、社会、貨幣、子孫…これからはそれらに対し
明快なビジョンを持つための「戦い」を挑まなくてはいけない。
遅かれ早かれ「今は関係ない」と思っていても必ず個人が
それらに対し答えを出さなくてはならないときが来るはずです。

僕は畑を隣の空き地につくったら、当然日々近辺の方々の目に触れるので
自然とコミュニケーションを取るようになりました。
隣の小学生と播種や草むしり、収穫したりして
「いいな〜、わたしもやりたい!」
と言わしめたので、たった4ヶ月だけど1つ大事なことを伝える事ができ、
白い目で見られながら耕起して僕がうつけになった日々は
ムダではなかったと安堵したのでした。

食物をつくる行程に触れると、嫌が応にも
自然の摂理やセンスオブワンダーを学ばざるを得ません。
ふと立ち返って人間ばかりに囲まれた社会のなかに自分がいるとき、
「不自然」に気付くタイミングが出てきます。
自然から学ぶことは多く、畏敬を抱かざるを得ません。

僕は自身の歴史年表を先日書いてみました。
そのなかに頻出し抽出されるキーワードには
「造形」「音楽」そして「自然」がありました。
東京にいてずっと恋焦がれて居たものは自然であり
それが農と帰結し情熱で僕を動かしているのです。
そして継続してきた美術や音楽に関すること、
これらが僕が一生涯やりたいこと、つまり「X」なんだと
今さらながら確信しました。

正直言ってここ数ヶ月はDJという表現に
興味が薄れていっていたことは否めません。
しかしSOLEA君らとはじめたorbitでの
アンビエントミュージックパーティーでの
肩肘張らないスタンスやオーガニックな表現に
また新たな活路を最近は見いだしてきました。

『「自然」の「造形」で「音楽」を演る』

これがこれから追求すべき自分の音楽スタイルかもしれません。


農を中心に見据えて、ライフスタイルのなかから
天職を追求し発信する、個々が屋号を持って独立し
小さなコミュニティーから社会を変えていく!
というのが最近の理想的ビジョンになってきました。


1st Anniversary Mix

Posted: 2012/07/06

うっかりこちらでアナウンスするのを忘れてしまっていましたが
今月16日までGLOCAL RECORDSで¥5,000以上お買い上げ(店頭&通販OK)
のお客様に風祭氏と自分のミックスをそれぞれプレゼント中です!!
詳しくはこちらを参照ください。

内容は先日お伝えした通りアンビエントですが、
これからの季節にもぴったりの内容だと思います。
是非ゲットしてチェックしてみてください!!


ROOTS RADICAL

Posted: 2012/07/05
先日「デモにはもう行かない」と思い切って言いましたが
それは自身の在り方を問うための言葉で
そこに行っている方々への非難や
原発の良し悪しを意味するものではないので
誤解なきようお願いいたします。

広島で被ばくしながらも医療活動を続けていらっしゃる
肥田舜太郎医師の『ヒロシマから「内部被ばく」と歩んで』を
先日地元の書店で購入して読みました。
氏は戦後、その書のタイトルにあるよう「内部被ばく」の危険性について
訴え続けてきた人物の一人であります。

僕たちはこれから「放射線時代」を確実に生き抜かなくてはなりません。
そのためには放射線についての勉強はもちろんのこと
いかにして今の日本が成り立っていったかというその歴史と
これからの「こうありたい」という社会のビジョンを個々が持たねばなりません。
被ばく国がなぜ核を容認するのか、冷静に考えて老若男女が疑問に思うべきです。

この本には、当時被ばくした多くの人が
それを理由に体調不良を訴えると警察に目をつけられ
自己申告を自重せざるを得ないムードが作られたことや
核分裂反応がそもそも兵器をつくるための技術であり
原子力発電はそこに目をつけ金儲けをしようとし始めたビジネスであることなど
知ってそうで知っていない、今に通じる日本の体質が記されています。

そもそも原爆投下後、反米感情を何よりも恐れたアメリカがやったことは
「情報統制」です。(思えばこのblogの最初期の投稿もこの話題についてでした)

放射線障害は前例のない病状であり、
当然のことながらその情報さえ流さなければ対策も薬も研究されることはないのです。
だから原爆、原発にまつわることは完全犯罪であり得る恐ろしいことなのです。
被ばく対策の情報開示を米国軍事医に求めた肥田医師は
「敗戦国民のお前にそれを知ることは認められない」と言われ、
それを唯一指示できるのは米国大統領(当時はトルーマン)のみだ
とつっぱねられたそうです。

何という、人権も、命の価値もないような話でしょう。

僕は、現代において「反社会的」であることは
もはや逆に「社会的」であるとさえ感じてしまいます。
キツい言い方すれば、テレビの情報のみ鵜呑みにしていることさえ
もはや気づかないくらい麻痺してる脳が作っているのが
現代の社会かもしれません。

盲目に信じてきたことはあまりに大きいのではないか???


こんなこと言うと何も筋が通ってないのだけれども
音楽をやっている人たちは直感力に長けているんです。
感覚で、これがヒューマンネイチャーとして正しい!ってことが
わかっていると思うんです。
言葉にはなかなか出来ないから表現しているのかもしれません。

ここにはそういうことを沢山書いてきたつもりだけど
人を繋ぐ音楽の力には教えられ、何度も助けられているし、
人類の理想的な共生ビジョンがあることも経験的に知ることが出来ました。

だから社会で働くサラリーマンはもう少しそんなミュージシャンの声に
耳を傾けてみて欲しいと思うし、ミュージシャンは精一杯毎日を生きてる
サラリーマンの感覚を知る術を持って欲しいと思うのです。

僕は音楽をやっている人間です!なんてまだ胸はって言えるもんじゃないけど
少なくとも違うフィールドで精一杯やってきた自分の感性を
大多数の社会のなかでクロスオーバーさせたいと願って帰郷した点もあるんです。

やはりそこを度外視していては始まらない、
エネルギーのある音楽仲間たちやシーンだけど
そこにいるだけじゃ始まらないと思って飛び出してみたかったんです。

伝えるチャンスも場所も毎日横にあって
自分自身の行動全てが「デモ」になるのです。
だから官邸前には行こうとは思わないのです。
来週も集ってます!って言われても…正直ピンと来ない。
24時間、五感フル稼働で伝えたらどんだけ変わるか試してみたい。

あまりに色んな価値観があるカオスだけど
根本の根本に立ち返っていこう!
温故知新の先端を行こうぜ!
って言うのが僕のメッセージです。



SUNDAY PEOPLE

Posted: 2012/07/03

今度の日曜は西麻布新世界にて一年半ぶりの「SUNDAY PEOPLE」開催です!
カラダの毒が抜けココロ洗われるような太田 暁さんのライヴは必見ですよ。
今回はセネガル出身 The Tchiky'sでも大活躍のパーカッショニスト、
ラティール氏も参加決定!DJはいつものジン&トメで盛り上げま〜す

日曜19時オープン。お待ちしております!!



デモにはもう行かない

Posted: 2012/06/26
先日の大飯原発再稼働に反対する首相官邸前のデモには
4,5000人もの方が集まったそうですね。
今日の新聞で総理は「デモの声はよく届いている」と発言したとありましたが、
言葉とは裏腹な行動は繊細になっている彼らの感情を逆撫でするだけのものでしょう。

僕個人もアタマに来ていないといったらウソになりますが
それ以上に、システムに対して中指を立て続けることの意味を問いたいです。

怒りの矛先をデモにぶつけた先には何があるでしょうか。

報道された人数が違っているとかは五十歩百歩の問題で
見てる人は当然のように見てるのが今の情報社会であると思います。
現場にいた人間よりもはるかに多いその情報の受け手が、
明日一歩踏み込んで行動するための動機とは何なのか??
怒りをデモにぶつけたい、自分に出来ることを何かしたい!
…その思考回路は間違っているとは思いませんが
一歩引いて冷静に、そこの「他を動かすものは何か」を
今は個々が改めて見つめ直すべきなんじゃないかと思うのです。
そのやり口は、各々の得意分野で表現すれば良くて
その輝きが、他の共感を得る契機になる、ということは
このことに限ったことでなく人間社会や文化の定石でもあると思います。

僕は、自然と共に在る生き方、そこから派生する衣食住にこそ
チャンスがあると思い、3ヶ月前に東京を去りました。
それは当然、東京では出来ないことであったからです。

マイノリティーの中で多くの支持を得る方法と
マジョリティーの中で多くの支持を得る方法は違うということにも気づきました。
要は、どちらに社会を変える可能性があるか、
エネルギーがあるかということなのだと思います。
僕が今まで東京で活動してきたフィールドは前者だと思いますが
そこで得た感性を生かして後者に食い込むやり口を今は模索しています。
そのヒントのひとつは農であるとも思うし、
パーマカルチャーや新しい生活デザインだとも思います。

本気で畑のなかから社会が変わっていくと思っています。
…ちょっと危ない考えと思われるかな?(笑)

みなさんはどう思いますか。


1950年代の核燃料サイクルを国策として進めると決断したときから
そのレールの上を僕らは生きているのです。
途中70年代になって、そのエネルギー政策が
緒外国に対する抑止力になることに気付き国が推進してきた事業でもある、
ということは、今は民放のNHKでさえドキュメントで放送しているのです。
エネルギーシフトを謳う人たちの認識はこの延長線上にあるのだろうか??
「エネルギーが必要」と思い純粋に研究してきた人類の知恵は
今や、空気からさえエネルギーが生み出せることにも気づいています。

では、エネルギーとは何のために必要なものなのでしょうか?
それは当然、「生活」のためですよね。
人間はより良い明日を夢見る生き物なんです。
それが社会、法、文化…全てを作ってきて今があります。
では、最低限明日ぼくが必要なエネルギーは
これだけです、って言える人はどれだけいるだろう。
そこは個人の感覚で0〜無限まで十人十色でしょう。
結局のところ、この共通意識、つまりは
「これだけあればいいよね」という規定が定まらないから
脱原発も進まないのだと思うのです。

バビロンシステムは確実にある。
けど、そこに直接的に中指立て続けるのは本当に疑問なんです。
だからもうどんなに怒り心頭でもデモに行く事はないと思います。
ロックでもパンクでも何でもいいけど、
そのアティティードは常に時代と共に
アップデートされてこそ生きるんじゃないかと思うのです。
静かに、継続的に、他利的に、生きてこそ
自分も社会も変わることができるんじゃないかと思う今日この頃です。

個々が想い、社会に対して行動する、けどその前に
冷静になって考えてみることも今必要なんじゃないでしょうか?




醸せyourself

Posted: 2012/06/08
昨日自分の畑をいじっていてとても重要な発見がありました。

詳しくは「不耕起栽培記」の方に書きましたが、
巷でも発酵食ブームで話題となっている微生物の存在についてです。

カビや麹菌など目に見えるものもありますが、
その多くは人の目では見ることのできない世界で生きています。
見えない世界を信じることは科学の発展と共に生きて来た
我々人類にとって残念ながら容易なことではありません。

その小さな世界から、わたしたちの目に見える大きな世界に至るまで全ては
「相互扶助」が、まさに「自然」に成立していてムダが本当にないんだ、
ということを、自分の畑の横に積み上げられた雑草の根に集まる微生物と
それが住む土を好んで食べるミミズ、その糞土で育つ植物、という流れを
みて悟ったのです。

ここでいうムダとは、一方通行的なエネルギーの流れであり
わたしたちの身近なことだと「消費」に当てはまるとも言えるかもしれません。

根は一方的に養分を吸収するだけのように思われがちですが
じつは自らの力で分泌物を出し、土中の微生物を育てるかわりに
微生物は自らの体に栄養素を結びつけて、それらを根にもたらすのです。

いっぱい光合成をして旺盛に分泌すれば、
そのぶん根を張り巡らして自分も成長することができます。

これは人間個々にも当てはまるのではないでしょうか。
利己的、責任感のない人間が増えてるという話を最近よく聞きますが
「他を助けることで自分が成長できる」ということが自然の摂理であれば
他を顧みない生き方をした先には何が待っているのか想像するのは容易いでしょう。

「畑は大きな味噌樽だと思え」という偉大な先農の言葉がありますが
その小さな根まわりの微生物の世界を広げるところから、
最終的な収穫というゴールに辿り着くことができるわけです。

自らの体のなかを醸(かも)すことによって社会全体が醸されてゆく。
健全な心は健全な体に宿る。
You are What you Eating. 食べ物があなた自身を作っている。

消費について改めて個々がもう一度じっくり考えてみて欲しいと思います。
毎日コンビニ食で化学調味料ジャンキーに知らないうちになってしまっていて
イライラした態度で人とつきあって、ストレス溜めながら仕事して稼いで
気づいたらガンになって莫大な医療費にそれをつぎ込んでたり…
どうかこんな負のループにはハマって欲しくないと切に願います。

見たくれに騙されず、本当に「気」のあるものを見極める勇気と知恵を持つこと。
いまは物事の価値観の過渡期で、最初は変人扱いされるかもしれないけど
理性じゃなくて感性で悟ったことは間違っていないと絶対的に信じること。
醸され研ぎすまされていけば、何が正しく何が間違っているか、
見極めることができると僕は経験的に思っています。

ましてやそれが自分らしさに繫がるし、全快にそれで輝けば
色々繫がって生きる道は「自然」と開けるんじゃないかな、と思うのです。


アニバーサリーミックス

Posted: 2012/06/06
はや栃木に越してきて3ヶ月が経とうとしています。
日に日にビルや人々の喧騒、車や電車の騒音から距離をおくようになると
人間としてあるべき感覚が取り戻されていくというか、
感性が研ぎすまされていく感じをモウレツに実感します。

そんな折、先日GLOCAL RECORDSの1周年記念の一環として
購入者への特典ミックスを作成したのですが
これがまた新境地開拓を客観視できるような面白いものになりました。

内容はアンビエントといえばアンビエントなんですが
今まさに自分が対峙している「自然」の持つサイケデリックさや
その日本人的な感じとり方、静寂、偶発性、といったフィーリングが
自然と湧き出てきて、下手に苦心することなくそれらを紡ぐことができ
これが今の自分だな、と信じられる「ウソのない」作品となりました。

昨今のクラブの取り締まりの件で、警察の行為に疑問を感じないことは
そこに出入りしていたものとして当然思うところはありますが、それ以上に
「音楽と生活の在り方」を考えるべきときが来たのだな、とも
個人的には感じています。

あまり深く突っ込んでは書きませんが
一番の懸念は音楽という文化がなくなってしまうことです。

僕は僕なりに、その在り方を追求・表現し
いかに輪を広げていくかということを常々考えるようになりました。

クラブの素晴らしい点を上げれば、枚挙に暇がありませんが
大きな欠点を言えばそれは年齢制限や時間のルールがあることです。

音楽は昼でも夜でも存在するのですから
それを楽しもう!というシチュエーションの例はいくらでも考えられるし
老若男女にその楽しさや尊さが伝わったら、
もしかしたら社会の在り方さえ変わるかもしれない。

日本に住む大多数の人は、日々の衣食住を考え、そのために働き
その生活基盤の上に音楽や趣味、趣向が在るのが一般的だと思うのです。
だから根本をないがしろにして、その上にあるものの発展は見込めないし
大げさに言えば存在さえなくなりかねないと思っているので
僕は食に密接した「農」を学びたいと思っているわけだし
底辺から発信することによって、より多くの人を巻き込めるんじゃないかって
最近は本気で考えているんです。

一DJという存在を超えて、僕が社会のなかで出来ることや
東京で得た感性や技術を生かして出来ることがここでもある!
と確信しているのです。


話を戻すと、
そんな姿勢が今作には自然とにじみ出てきたのだと思います。
親や小さい子供が近くにいるのを感じてる影響も大きいかもしれません。
だから正直言って、破壊的な刺激を求めている人には全くもの足りない作品です。

祈り、繋がり、感じる、調和、共鳴、、
そんなキーワードにピンときた方は是非チェックしてみてください。
まるで人が変わったかと思われる作風かもしれませんが
もはや体裁を見繕ったりする時代ではないと思うので
100%ありのままを言うし、出させて頂きました。

個人的にDJ現場でも少し販売するかもしれませんが
店舗でのサービス開始時期などについては改めてまたアナウンスいたします!



農ライフ通信VOL.3

Posted: 2012/06/02



ご無沙汰になってしまった農ライフ通信です。
不耕起栽培記についてはこちらにて毎日更新中ですので覗いてやってくださいね

畑やるようになって3ヶ月弱になりますが、
先日書いたパーマカルチャーのこと然り、勉強し実践するにつれ
色々な発見、考えることがあり、まさに農が哲学であると実感しています。
それだけ人の営みのなかに長い間密接に関わってきたということであるし
生きること、社会を形成することにも大きく影響を与えている行為?なのだと思います。



こちらは無農薬有機肥料の畑のジャガイモ。かなり元気に育ってます。
先日最後の土寄せをしました。収穫は近い!


こちらは同じ畑で取れたニンジンとカブの間引き菜。
ニンジンの葉はかき揚げやおひたしにしたら美味でした。



これ何の花だかわかりますか?

朝8時頃花が咲くので雄花の花粉を雌花のめしべに受粉させます。
すると数日後には…こんな風に結実します。


正解はズッキーニでした!今年は黄色いやつも作ってるので楽しみです。


こちらはトマト。花が次々と咲いてます。もうじき収穫できそう!



ソラマメは収穫して、シンプルに塩ゆでしておいしく頂きました。
ソラマメは中を割ってよくみるとへその尾のようなもので繫がっているのです。
生命の神秘ですね〜



最後に強烈なやつを一枚!!アゲハチョウの幼虫。サイケですね


パーマカルチャー

Posted: 2012/05/26


今日は地元の方と田植えをしてきました。
詳しくはこちらにレポート書いたので良かったら覗いてやってください。

そんな折、地域と繫がる意義について考えていたら
田中優氏の面白いコラムを発見しました。
それは、タイの田舎で、日本・山形の「朝市」を模してマーケットを開催したところ
地域住民の間でモノとカネが循環し、「貨幣を使った非貨幣経済」が成り立ち、
住民の間での貧富の差がなくなったという話。(全文はこちら

改めて、何となくしか意識していなかった
パーマカルチャー」について考えるときが来たな〜と思いました。

農業のなかの作業一つとっても、例えば糞尿や野菜くずから堆肥をつくり
土を肥やし、作付けし、食べる、排泄する。
この循環を軸に、基本理念として
「畑の外からものを持ち込まない」
と決めるだけで大きな一歩を踏み出したことになる。

動植物の固有の資質と、その場所や建築物の自然的特徴を生かし
最小限の土地を活用して、都市部にも田舎にも、
生命を支えていけるシステムをつくりだしていく。

自然のシステムを読み取り、人間の生活にそれを取り入れる。
自然の豊かさと人間の豊かさの共生…
物質的豊かさを求めた時代が終わり
精神的豊かさを求める時代が到来しているのだと思います。



6.15 A OVERTONE SUPREME

Posted: 2012/05/25


フライヤー制作しました。
ディジュリドゥー奏者SOLEA君企画のスーパーアンビエントナイト。
今回も写真は矢内絵奈さんです。緑萌ゆる感じがまさに今の時期とリンクしますね。

ライヴは
DACHAMBOのディジュ奏者OMI氏、ポットメセニーことGROPAS氏、
辺境ロマンス・トランスSOLEA氏、そして僕も含めて皆でセッションも予定しております。

DJには
CALM氏の実弟KENKOU氏 & 僕、初顔合わせなので楽しみです!

ORBITのリラックスした雰囲気のなか面白い一夜になりそうです。




才脳

Posted:
小学生のときノートの上の隙間部分に
ガンダムに出てくるハロボールをパクったようなキャラで
ずーっと横にスクロールしていく漫画みたいのを書いていました。
落書きから始まったその話は宿題サボってまで書くようになり
毎日とまではいかないけど頻繁にストーリーも更新していって
最初の読者だった隣の席のやつは「つづきまだ?」といつも心待ちにするようになり、
気づけば、数名のコアなファン層が結成されていったのでした。
この話は10冊目くらいに突入して自然消滅していってしまったけど
今思えば、続けていたらどうなっただろう?

あのときは続ける熱意も度胸も
それらを体系化する知恵もなくて
中学生になったらそれは記憶の彼方に葬られたのでした。


「才能」というのは何だろう?

美術大学を受験しようと思ってた頃は毎日そんなことばかり考えてました。
答えは出ないまま、技術を習得し進学したけど幻滅する部分もあって
DJをやっているうちに音楽のなかに人間を構築するエモーションをみつけ
これしかない!と思い自分探しとダブらせてのめりこんでいったのでした。

いま、ほぼ無意識的にmacのキーボードをこうやって叩いている瞬間。
無意識ではあるけど、厳密に言えば意識の先には
今これを読んでいる人たちのことがあるのです。


東京で凄い才能をたくさん見ました。
文を綴ることに対して自分が特段秀でていると
思ったことはそれほどなかったのですが、
このBLOGをはじめてから日に日に反響が出てくるようになりました。
気づけばもう3年以上続いているこのBLOG。
あの頃書いてた漫画の意識とダブってくる。

過去にも書きましたが、
僕は匿名性を持ってDJをするタイプではないし
もはやそんな時代でもないと思っているので
なるべく他の人が書かないようなありのままの自分を書こうと、
特にここではそうしよう、と決めたのでした。
すると不思議とまた新しい反応してくれる人がやってくるのです。
必ず見方は現れる。人生の連鎖の鉄則を見ているようです。

「才能」の答えは掴みかけてて未だ掴めないけど
裸になる度胸を持った上で、想い、続け、かたちにすること、
それが出来る事、その延長線上にある気がしています。



…けど最近は「才農」傾向。

不耕起栽培記
マジなんで宜しくお願いします。

何にマジかと言えば「これから生きる道の模索」です。
ここから、また僕の旅がはじまるのです。




不耕起栽培記

Posted: 2012/05/22
不耕起栽培記はじめました。

http://tomenofarm.blogspot.jp/

先日こちらでも紹介した隣の空き地の開墾日記です。
空き地で無農薬野菜が作れるか?日々の実験備忘録。


未来の架け橋と成れるか?

Posted: 2012/05/21
先週の東京漂流4DAYS、遊んだ皆さんありがとうございました。

水曜のGRASSROOTSでは二羽さんの音に癒され、
後日ぶらり立ち寄った西荻窪BABOYでは
大学時代の友人に8年ぶりくらいの奇跡的再会を果たし
そのままWARPのLIFE OF DUBで遊ぶというヤーマンな週末でした。

多くの人と出会いたくさんの話をしました。(久しぶりで嬉しかった)
色んな人に今の等身大の話したら、みんな「いいね!」と賛同してくれ
先々の思ってるビジョンについても「俺もそんなこと最近考えてた」といった
反応があり、栃木にいて一人でモヤモヤしてた不安が払拭されました…。

正直言えば
「畑ばっかやっててあいつ音楽やめたの?」って言われるのにビビってました。
中にはそう腹のなかで思ってる奴がいるかもしれない。
けど本当に信頼している仲間や先輩が後押ししてくれてるならそれは
東京での自分の音楽活動を少なからず認めてくれた証だし、
みんな次のステップに期待してくれているってことなんだと分かりました。
だから今思ってることを精いっぱいやる、かたちにする。しかも今度は一人で。
過去に一人でやったカレー屋は半信半疑のままスタートしてしまったから
失敗したけど、今回のビジョンは何か自信が持てる。みんなの喜ぶ顔が見える。
まだぼんやりだけど…こういうことが自分のやるべき生涯の仕事と成るのかもしれませんね。

改めて、良くも悪くも東京は刺激が多い街ですが、
今やその街のあり方も、日本のあり方も変わろうとしています。
僕はここから、っていうのが最近見つかった気がしていて嬉しい。
激動の時代のなかでこそ本当に考え自分の道を知ることが出来るのかもしれません。


そんな訳で、東京にいた10年以上をムダにすることなく、
こちらでアップデートした活動をしていきたいと思う次第です。

「農ライフ通信」も力を入れてアップして参りますのでお楽しみに!


あと…

結構BLOGチェックしてくれている方いらっしゃるんですね!
(嬉し半分プレッシャー半分、、です)








LIFE OF DUB

Posted: 2012/05/16

イベント告知連投ですが、明後日金曜は吉祥寺WARPにて
サックス奏者KOYO氏企画・ライフオブダブ!
いいイベント名ですね〜
夏らしくなってもきたことだし、
久しぶりにダンスホールとかかけてみようかと思ってます。


2012.5.18(FRI)
【LIFE OF DUB 吉祥寺】
[LIVE]
 CHALISSSCREW×RUEED×THUNDER 
The Tchiky's×広田マサシ[per.]
KEN2-D SPECIAL

 [DJ]
 DJ UPPERCUT
 JAHTOME
 AXEMAN

 [LIVEPAINT]
 狩集広洋

 [Photo Exhibition]
Hashizume Taichi

 OPEN/START 24:00 ADV,WF/DOOR ¥2500 / ¥3000(with 1d)

 TOTAL INFORMATION KICHIJOJI WARP
 0422-22-3514 / warp@rinkydinkstudio.com

GLOCAL RECORDS 1周年 !!!

Posted: 2012/05/15
ちょうど一年前…
震災後のバタバタ冷めやらぬ中、
先輩方3人と原宿・神宮前にオープンしたレコードショップ『GLOCAL RECORDS

振り返ってみれば、あのときの箕輪先輩の開店決断は英断だったと思います。
僕はRUDIMENTSを手伝っていた流れのまま参入したようなかたちになったけど
結果、この行動が東京にいる人たちにも勇気を与えることになったとも思うし
何より自分らの精神基盤ともなるホームを意図的に築いたことによって
現在の自分の在り方や活動へとも繫がっていったのだから。
今は栃木に越してきて少し関わり方も変わってしまったけど
やっていなかったら今はもっと全く違うことをやっていたかもしれません。

利用して下さったみなさん、力を貸してくれた皆さん
あらためて有難うございます。

明日水曜はそんな感謝の気持ちを込めて
東高円寺GRASSROOTSにて二羽高次さんをお招きして記念祭開催致します!
是非祝杯あげに遊びいらしてください〜


5/16(wed) 『QUALIA』
GLOCAL RECORDS 1st ANNIV. PARTY!!
★START 21:00
★ LIVE:ニ羽 高次(ex BREATH MARK)
★DJs : KINKA / 風祭 堅太 / JAHTOME / 箕輪 弦太

http://www.grassrootstribe.com/


農ライフ通信 VOL.2

Posted: 2012/05/14
さてさて、反響も頂けましたので続々畑のレポートをしていきたいと思います。
まずはここ一ヶ月の動向、3月下旬〜4月下旬までの作付けを中心としたものからどうぞ。



これは4月2日、前年11月に苗を植たソラマメに防虫テープを貼っているところ。
銀アルミの只のテープですが、この反射光をアブラムシは嫌うそうです。
ソラマメは春先に植え付ける方もいるみたいですが、前年の冬に苗を植える(とは言え、寒さを凌げる適度な大きさがなければなりません)ことによって夏前5月下旬〜6月くらいの収穫が可能となるようです。

これは前年植え付け冬に収穫したゴボウの残りを土に埋めて保管しておいたもの。
こうやって保管しておくほうが風味が落ちないそうです。
ただ、これは保管しすぎて葉っぱが出てきちゃってます。
(味にはあまり影響なし、のような気がしました…)


グエッ…冬眠から起こされちゃったよ…
こんなんもあちこちから出てきます。





4月9日、いよいよ自宅隣の空き地の開墾に着手しました。
不起耕栽培と自然農を混同している人は結構多いのですが (かく言う自分もそうでした) 、
前者は最初一回のみ耕起し施肥によって土壌の酸度を調整し、
植物が育ちやすい環境を整えた上で、根張りによる「根粒構造」を生かす農法です。
つまり、普通の畑の場合は一度収穫を終えた作物は根ごと刈り取り、
次の作物の植え付けのために再び耕起し (これがまた重労働) 、
作物に合わせて石灰、肥料などを蒔き再度phを調整し直さなければなりません。
この行程で保水、微生物の住処を維持していた根粒構造は断絶されてしまうのです。
不耕起栽培ですと根は自然と発酵し腐葉土と化したり、根のすきまを住処としていた
微生物、ミミズや幼虫など、土を肥やしてくれる生物が生き残ることができます。
これを栄養として次の作物が育つので、年々良い収穫が見込めるようになる
というものです。
僕は水口文夫氏の農文協から出ている「不耕起栽培」を読んで
これを試さずにはいられなくなってしまった、という次第です。


まず、区画を計りひもを張ります。
その後はひたすらクワで深さ20~30cmで耕す、耕す、耕す…


色んな生き物が出てきます。
これは「ニホントカゲ」。
カナヘビと違って超すばしっこいやつですがまだ寒くて動きは鈍感。


大きな雑草の根の下には巣があります。
まだしっぽの青い子供が数匹飛び出してきました。
子供のときだけ見れる美しいブルーのしっぽ。

雑草との戦い。ひたすらシュールかつ孤独です…苦笑
丸々半日以上かけて8割耕起完了。
関東の土地はphが酸性の土壌が多いので、
中和するためにアルカリ性の苦土石灰などを撒きます。

今回は苦土石灰のかわりに貝粉末を使用してみました。
微量ミネラルを含むとか。ホームセンターで5kg/¥500ほど。
また植物の初期段階での栄養素の吸収をアップさせるために
ヨウリンをそれぞれ2000g〜3000g撒きます。これも最初の一回のみです。


ちなみにこのヨウリンとは、思い切り化成肥料ですが
有機肥料が必ずしも良いという訳ではない、との判断からの使用でした。
有機はバクテリアをゆっくり時間をかけて分解して、植物が吸収できる状態へと
持っていくので、いわば不完全燃焼とも言うべき腐敗も起こりやすいのです。
食味など要検証ですが、純粋に植物は育つ過程でリン酸を欲しているのであれば
それを与えればよいのでは?との判断です。
あまり印象良い例えじゃないかもしれませんが
人間で言えばビタミンサプリメントですよね。

この後、土と肥料を馴染ませるため2週間ほど放置。
その間に何してたかって言うと、自転車を修理して
裏の山を超えて農道散歩、花見三昧してました。



4月15日、芳賀町/野本川沿いの風景。
美しきかな、カントリーロード!
昔は見向きもしなかったのにね …
年を取るとはこういうことなのかな? 笑
ずっとここにいると埋もれてしまう風景だけど
良いものは良いと胸を張ってイイタイ!







東京にいたときは花をまじまじと観察する時間さえ無かった気がします。
日の光を浴び芽吹き、花を咲かせるという当たり前のような行為のなかに
生のダイナミズムや、生きる物の然るべき姿を見いだす。
科学技術の結晶のなかにいると当たり前のように人間が中心に感じてしまう。
自分が本来どこにいるかは脳で意識し理解することじゃない、感じることなんです。



農ライフ通信 VOL.1

Posted: 2012/05/13
どうもここ最近、先日も書いたように
何書いていいのかよくわからなくなってましたが
結局は自分のブログなので自分の書きたいことを書くことにしました。
音楽であろうが畑であろうが、ウケようがウケまいが関係なし!
JAHTOMEだろうが誰だろうが自分は自分であります。

と言うわけでまず、リクエストと言うかクレームも?入ってきてますので
栃木に越してきて以来だいぶご無沙汰してしまっている畑のご報告も
ぼちぼちこちらでもしていこうかと思います。
別ブログで書こうかと思案していましたが、
そっちは自然療法なども含めてより突っ込んだものにして
こちらでは重複してしまう所もあるかもしれませんが概要を書こうと思います。
(まあ、改めて断ることでもないんでしょうけど…
いつも見てくれている皆さんにはホント感謝です!)
畑経験者の方からすれば笑ってしまうような内容かもしれませんが
東京にいて農に興味がある人、これから学ぼうという人たちの足がかりに、
そして自分の備忘録、またミドリに飢えている方の目の保養になれば 笑
と思う次第です。

現在、我が家(父&母&自分)で手がけている圃場 (畑)は実は4つあり、
一つは父と母が家から車で5分くらいのところに借りている場所で、
もう5年以上使っているのかな?我が家のメイン畑でもあります。
ただしここは年内に返還予定なので現在栽培中のインゲン豆、
以前ここにアップしたジャガイモなどの夏野菜を最後に
その他イモやらネギやらは移植作業中の圃場でもあります。
まわりは360°麦畑に囲まれてててナイスな風景ですが
その畑は農薬の空中散布なども行われているので個人的にはまあまあかな、、
といった感想です。


で、もう一つは家の向かいの造園屋さん(敷地内は植樹されており広大)が
今年の春ご好意で貸して下さった圃場。敷地内を抜けてなんと家から徒歩30秒!
20平米以上あってまわりも木で囲まれてて奥ではキジなんかも鳴いてて最高です。


ここは前年までは一面ニンニクを栽培してました。連作障害を避けるために
ニラ科の野菜は隅っこに少しにして、その他トマト、ナス、トウガラシ、
セロリ、トウモロコシ、サトイモ、ヤマイモ、カボチャ、アスパラ、
ホースラディッシュ、ウコン、ショウガ…
その他、コリアンダー、カモミール、バジルなどハーブもあります。
このてんこ盛り具合は家庭菜園ならではですね。


もう一つは、家から車で10分くらいのところにある
県立農業大学校が敷地内に一般貸し出しいている圃場で
ここは通称エコファームと呼ばれていて、農薬禁止、
有機肥料があらかじめすき込んで耕起された集合農場です。
農大敷地内とだけあって、まわりは北海道みたいな巨大な圃場や
牧場、池などもあり、作られた環境とは言えとても気持ちいい〜場所です。



素人、玄人入り交じって様々な意見交換が出来る場としては最高ですね。
(実際にはライバル視線でバチバチ?)


大きさはだいたい10平米程度。
ここではダイコン、ニンジン、ジャガイモ、ネギ、ゴボウなどを栽培しています。


で、最後の一つが、
家の隣に駐車場として草刈りを条件に地主さんからからお借りしている土地に
どうしても個人的に試したかった不耕起栽培をやるために僕が開墾した畑。
(不耕起栽培と自然農は別モノです。不耕起栽培は最初一回のみ耕し、
植物が育ちやすい環境を調整して作ります。)


7平米を自力・クワのみで開墾するのはなかなか大変でしたが、
その分愛着もありますし、ご近所の視線に丸裸にされながらの畑作業も
なかなかスリリングで面白いですよ。笑
ここでの実験は、別ブログにて自然療法と合わせて紹介していこうと思います。 
ここではトウモロコシ、ナス、インゲン、クロマメ、トマト、カボチャ、
ネギ、アシタバ、トウガラシ、パプリカ、ピーマン、ヤマイモ、コマツナ、
オカヒジキ、ヒエ、アワなど僕が食べたいものを中心に栽培中です。


ざっと紹介するとこんな感じで、
素人菜園でどんだけ〜って僕でも思ってしまう量ですが
それぞれに環境が違うのが面白い。
同じ作物でも土壌や環境の違いでどの程度、味にも変化がでるか
実験も兼ねて楽しく栽培していってみたいと思います。



戦いの美学

Posted: 2012/05/04
4月は考える時間が山ほどあったにも関わらず
ほとんどここに書こうと思うことがありませんでした。

取り繕ろおうとしている自分が見えたら書かないことにしているんです。

二重人格か?って思うくらい前日の自分の価値観を破壊したくなる
衝動に駆られることがしばしばあるのですが、それが人間ってもんでしょう。
ここ最近は怒り先行で反目して不調和したくないと願うばかりに
「絶対的自分」を信じられなくなっていることに気づいてしまったのです。
世の悪や不条理に対して決して目を背けているつもりはなかったけど
原発事故以降の世間の考え方の二極化、それに対して良し悪しを言っている次元が
そもそも違う、俺には俺の調和の作り方がある!と自負していましたが…
そろそろ結果を出さないといけない時期が来たのかもしれません。
つまりは本気で自分を立てる努力をする時期ということです。

マイペースにやろうって決めてたけど、それにも飽きてしまった。
いや、厳密に言うとマイペースのねじを締めたくなったという感じでしょうか。
漠然とした怒りや情熱が帰ってきたので今ここに書き綴ってます。
たぶん読み返すと後悔しそうだから多分二度と読み返さないでしょう。笑

そもそも破壊を恐れちゃいけない。
クロウトもシロウトもない、あるのは自分だけ、
「生」の力を表現することが「生きる」ということなのです。

ピカソにしろ岡本太郎にしろ、
既成の美意識や道徳観に疑問を抱いた先駆者は皆ルーツを辿りました。
原始美術の中に人間の生の躍動を見いだし、
尻つぼみになってゆく現代社会やその価値観と戦いました。

僕は…戦うことは悪と決めつけていた節があったのかもしれません。
しかし言わない奴はもっと悪と決めつけられることがあることを知りました。
ダライ・ラマの言葉で
「欲には二種類あり、物欲は悪だが、自身がこうありたいと願う欲は悪ではない」
というのはむかし書きましたが、それと戦うことも同じです。
人の揚げ足取ったり、瞬間の言葉を追うことほど無意味なことはない。
どうせ叩くなら、生の根底を揺さぶって決定的な感動を与えたい。
そのための創作は決して嘘にはならないし、後からみてもそれは
金太郎あめ的にいつどの時のものであっても本当の自分であるはずでしょう。

人生のなかには悲痛で惨く打ちのめされることがランダムに現出します。
この理不尽に対して卑屈になったり打ちのめされていてはいけない、
むしろ笑顔で肯定して、謳歌してやろうじゃないか!って意気込みが必要です。
男という存在が輝くのは、そんなどうしようもない漆黒の闇に立ち向かうときでしょう。

音楽やアートに限らず、仕事全般、時を生きる、全ては同じということです。
制作を続けても、いつまでも金にならないと
俺って器用貧乏なのかな?って思いはじめてしまいますが
それは大胆に言ってしまえば覚悟が足りないだけなのかもしれません。
迎合ばかりしてるとストレス溜めて自分を見失うだけです。

またJAHTOMEが口先ばっかで偉そうなこと言ってるぞ、
と思う方がいらっしゃるかもしれませんが、
そうおっしゃった方が僕の人生を変えてくれる訳でもないし
幸せにしてくれる訳でもないので大いに言わせてもらうし、
これが僕なんで全力でぶつけていきますよ、という所信表明でもありますから。

肝心なのは「思い切り」です。
なんでこんな単純なことに気づかなかったんだろう?
と思ってしまいますが、今日の一歩は個人的に大変大きな一歩でした。


8周年&発売記念!

Posted: 2012/04/27

4/27(金) 今夜はいつもお世話になっている吉祥寺WARP8周年記念イヴェント『SEVEN STEPS TO HEAVEN』 沖縄からのアノ人やいつもいるアンナ人も大集合・ライヴもあったりお隣CHEEKYとも行き来自由だったりと、まさに宴!僕は2:00〜3:00ラウンジフロアで祝いDJです。 http://bit.ly/aM6Vsj

 そしてもうひとつおめでたいパーティーが日曜・中野HEAVYSICK ZEROにて。仙台在住のペインター「SYUNOVEN」の作品集リリースパーティー。先日内容拝見しましたが、同世代として大変刺激受けました。(コメントが大友克洋とジョー・クラウゼルというのも凄い…)豪華メンツ&当人のライヴペイントもありますのでとても楽しみです!http://www.heavysick.co.jp/zero/

週末記

Posted: 2012/04/24

13日の『SPRING MADNESS』@WARP、
20日の『A OVERTONE SUPREME』@POWERS2、
22日の『SUNDAY PEOPLE』@CHEEKY、
お世話になったみなさん、有難うございました!
21日土曜はCheeky店主アビーのご好意によりMoochyさんのイヴェント『MOMENTOS』にてバーカウンターにも入らせて頂き、超濃厚で楽しい週末を過ごせました。
宇都宮←→東京間の移動にも慣れ、意識の振り分けと言うか
こちらの生活/制作基盤から東京でいかに動くべきかも見えてきた気がします。
東京の仲間、街、空気からまだまだ刺激も吸収できると感じたし、
必要とされるならいつでも出向きたいし、まだまだやるべきことがある!といった感じです。

栃木の朝は東京に比べるとまだまだ寒く、
八十八夜の別れ霜」と言われる雑節があるように
立春から87日後くらいまでは遅霜による農作物への被害があると言われています。
今年は特に寒いので、慎重に作付けタイミングを見計らっているのですが
そろそろかな〜、という感じで東京の夜に身を埋めながらも
頭の片隅ではこのことが常に気がかりでした。

実は2週間ほど前に家の隣の空き地を開墾し、
不耕起栽培をするための畑を作りました。
完全な自然農とは違い、最初だけ耕す農法ですが
地球へのインパクトを少なくする方法として有意義だと考えています。
遮る樹木もまわりになく、日当り全開なのは良いのですが
若干の近所の目も気になりつつも…これはやらずにはいられない!!
と思い切って開墾しちゃいました。
自分の勉強メモのためにも、ここに書くより細かく書きたいと思ったので
現在「不耕起栽培記」ブログを準備中です。
近々公開しますのでお楽しみに?しててください〜



LAST AMBY

Posted: 2012/04/07

先週木曜の【AMBY】最終回ありがとうございました!
(写真はDJ・SUGER-T氏/ナイスレゲエセレクションでした)
色々あった3年間でしたが、たくさんの人との交流を持てた楽しい時間でした。
BIG UP 32016!梅ちゃん、TDKR麺ホント長いあいだありがとうございました。

自然人

Posted: 2012/04/04

農に触れる生活を送りながら、ずっと気になっていたことの疑問がやっと解けました。

「テレビや雑誌でなぜ、こんなにも農業や田舎暮らしがピックアップされているのか」

自給率を上げることを目的とした国策ならば、
減反政策を取る意味がわからないし、
農林水産省がウン百万出し雑誌の企画を買収してまで
有名人に田舎の畑体験させていることetc...

ちょっと過激な話になるかもしれませんが
精神科医であり画家でもある吉田脩二著『感じる力を読んで思った点がいくつかあるので
自分がこの分野にどっぷり首を突っ込む前にここに書き記しておこうと思いました。

そもそも「自然人」とは何なのか?
僕はその答えは、自然を愛すること、すなわち日本人的感性から言えば
八百万の神を感じ生きる生活を送ることだと思っていました。
美しい田園風景や里山の景色に心癒される経験は多くの人が持っていることでしょう。

そんな景色のなかにいて最近は「農耕文化」の起源について考えていました。
裏の林を抜ければ、そこには写真のような田畑の真ん中に不自然に残された
道祖さんを祀った神社やほこらが至るところに存在しています。
実像を持たない、山や川、それ自体をご神体として崇拝してきたのが日本の神道です。
確かに、その場の燐とした空気や太古の歴史を感じる佇まいは
スピリチュアルな何かを感じずにはいられません。
農耕を生業としてきた先祖たちが、自分や家族の存命を左右する
「自然」に対し畏敬の念を持ち接したことは納得のいく話です。

しかしながら、哲学的な分析になりますが本当の人間の
「あるべき姿」「ありのまま」とは一体何なのでしょうか。
そこを紐解く鍵はこの「農耕文化」以前の「狩猟文化」にあったのです。

日本においては縄文時代までが狩猟時代であったと言われています。
この時代に生きた我々の祖先は、「時間」「富」「序列」といった
現代わたしたちが当たり前すぎて疑いもしない概念自体が存在していませんでした。
農耕民のように過酷な自然状況のなかで「いかに生きるか」よりも
自然と共に「いかにあるか」ということが重要であったのです。

農耕文化は季節や生産性を意識しなくては成り立ちませんので
勤勉実直な性格の人間が良しとされます。
これって、現在の資本主義経済と似てると思いませんか?
戦後の私たちの祖父母は「エコノミック・アニマル」と呼ばれ
その勤勉さに欧米諸国の人たちは驚いたそうです。
その頑張りのお陰で現在の豊かな生活を教授している自分があるのですが
とりわけ日本は四季があり、チームプレーを重視しないことには
農耕社会が成り立たなかったので、こういった勤勉な性質を持つようになったとか。
「現在」「過去」「未来」の概念も然りで、農耕以前には「今」が全てであったのです。
仮に明日、自分がこの生き方を100%遂行しようとしたものならば
あっさりダメ人間、使えない奴として社会から駆逐されてしまうことでしょう。


あるがまま生きたいと願う人は年々増えていると思うし
この風潮はヒッピームーブメントのような一過性のものでもない気がします。
日本の農耕文化の起源は2500年前と、実は世界の中では遅いほうで
現在わたしたちの中にある感性は諸外国の人たちとは少しズレているのかもしれません。

正直言ってここ一年くらい頭ひねりながら書こうとしていたことがほぼ書いてあって、
さらにディープなところまで展開しててびっくりしましたが
「禅」や「瞑想」、「脳科学」から「宗教」まで横断して展開するこの本、
新書で200ページくらいなので論理に欠ける所もありますが刺激的でオススメです。

この数千年続いた意識社会のが変わる瀬戸際を生きているのかもしれない思うと
ちょっとゾクゾクしちゃいますね。





糀屋へ行く

Posted: 2012/03/30

先日、地元となり町の真岡市二宮町(町名の由来は二宮尊徳)にある、
明治時代より続く麹屋さん「渡辺糀店」に米麹を買いに行きました。
ちなみに表記は「麹」でなく「糀」でしたね


店構えは至って簡素ですが、
なかでは元気いっぱいの女将がテキパキ働いておりました。
自家製味噌、甘酒、塩麹等も販売してました。
この日は幸運にも、乾燥や冷凍でない
出来立てのものを購入することができました。
ちなみにお値段、1kg/800円。


そのまま食べてもほんのり甘みがありおいしく、整腸剤としての効き目もアリ。
よーく見ると表面についているのが麹カビで、これが立っていると「花が咲く」と言うそうです。
この出来具合で、味噌や甘酒など、当然つくるものの味も変わってきます。
江戸時代には多くの麹屋が存在し、この味を競ったそうです。

生活に根付いた文化臭は、コンビニやスーパーなどの普及で廃れつつありますが
現在もこういったお店が地元で必要とされ、愛されているのは素敵ですね

飽食社会

Posted: 2012/03/29
住環境が変わり、ほぼ規則的にきっちり
一日3食たべるようになったら不健康になった。

と言ったら「えっ?」と思われる方もいらっしゃるでしょう。

ちょっと極端な言い方をしましたが、
ここ2週間で背中や腕、首などに蕁麻疹がでてきたので
最初は湿度や気温のせいかな?とも思っていましたが
これはもしや??と思い、数日朝食を控え甘酒一杯にし
一日2食にしたらあっさり完治。
昔はステロイド入り塗り薬を使って
一時的に良くなっても最終的に悪化の一途を辿るばかりでした。


これは肝臓が疲れてしまっていたんですね。
まあ、美味い酒があるのでつい毎日晩酌していたこともあるのでしょうが…笑

肝臓はいわば体の清掃工場で
体内に溜まった毒素を分解・排出する器官です。
アルコール分解はじめ、酸性過多になった血液を浄化したりします。
また、白砂糖や肉はこの肝臓の働きに負担をかけると言われています。
実際に、その量を減らしてみるだけで違いは体感できると思うので
一度試してみることをオススメします。

うんちくはさておき、
体がこのように合図を出してくれることはとてもラッキーなことです。
自分の健康を過信しない、体の声に耳を傾けることはとても重要です。
多くの病をこじらせる原因は、この「過信」にある気がします。

また、こんな事言うとひねくれているように思われるかもしれませんが
TVや雑誌で太鼓判を押している食文化を鵜呑みにせず、疑うことです。
この食材には、このビタミンが豊富で〜、といった謳い文句をよく耳にしますが
自然食材に含まれている栄養価は、分類できない未知のものも多数あるのです。
そういった微々たる養分が、実は生命維持に大事だったりすると僕は思っています。

目に見えないものを、科学的に実証させることによって
人間は不安要素を取り除き、日々の安心を得ようとしてきた成れの果てが、今の食/医療文化です。

病気をして、栄養をつけるためより食べようとするのは人間だけらしいです。
人間が特殊な動物であり、社会や情報のなかで生きていることを自覚すれば
もうちょっとこの不自然な医療制度や保険制度も変わっていくことでしょうし、
言ってしまえば、ユダ金から原発利権の話にまで影響するアクションとなることでしょう。
日々の消費こそが、選挙とおなじ「意思表示」であるのです。

これから食のこと、医療のことは
大なれ小なれ誰もが生きて行く上で学ばなくてはならないことになると思います。
自然の恵みは、共生のヒントや知恵を既にたくさん与えてくれています。

↓は70年代に発売されたそんな知恵の詰まったバイブルです。


一年前の3/14、福島第一原発3号炉が爆発し危険を感じ名古屋へ避難した際、
ステイさせてもらった友人宅のキッチン横に置いてあったのが僕とこの本との出会いでした。
そんな意味でも、今後学ぶべきもののガイダンスだったと思って
マクロビ、自然療法を約一年生活に取り込んできました。

最近では、こういう情報を共有できる仲間も増え、
(この増え方も不思議な縁を感じる出会いが多いのですが)
一生懸命勉強したり、気持ちをこめて作った食べ物が人に伝わり
「おいしかった」「元気になった」という言葉を聞き、
人の健康体=高い波動を感じると喜びを感じるようになりました。


今、学ぶべきことはここでしかできない!と思って帰郷したので
日々研究、精進しております。

人生の喜びはこういうとこから生まれてくるのかな、
とぼんやり感じ始めている春うららな日々です。

"YAKAZA ENSEMBLE meets SYUNOVEN"

Posted: 2012/03/28


MOOCHYさんの12inchジャケットやLINKAGEのフライヤー等で目にした方も多いであろう、
會津出身のペインターSYUNOVENのアートワークと
イスラム神秘主義「スーフィー」のバンドYAKAZA ENSEMBLEの楽曲を
邂逅させた作品が本日28日発売となりました。

来月4/29(日)は中野Heavysick Zeroにてリリースパーティーがあり、
僕もDJで参加させて頂きます。

KUNIYUKIさん、SHINKICHIさん×NU-DOHさん、そしてMOOCHYさん、
それぞれのリミックス入りEPの内容もかなり気になるところ。

まだ実物は手にしていないのですが内容とても楽しみです。

個人的には当日までに、「イスラム神秘主義」について
知識を深めておこうと思いました。

ベン君リリースおめでとうございます!!!


ラフ・ガイド・ライン

Posted: 2012/03/27


このブログの趣旨についてここ数日考えていました。

3年前の始めた当初は、自身の音楽活動の発表の場として
そこに準ずる思考のプロセスの記録として残せれば、
と思っていましたが、
最近は主に、音楽、デザイン、農、社会問題 etc
総じて自分なのはわかっているのですが、
もっと一つの筋をつけないと
よくわからないものになってしまうし
何か意識していたり、その時々のフィーリングだけだと
いずれ書く事がなくなるということに気がつきました。

つまりそれは、僕の人生に於けるメッセージが何か
より深く考えることでもありますし、
日々の活動に対して、一体感を持たせるということでもあります。

単純な労働奉仕としての仕事をやめて以来、
生きるために必要な術が何か、
何によって自分が生かされるか、
それをずっと動きながら考えています。
すべてを賭けてみたい!と思えるのが
本当のライフワークとすべきことと考えます。
道元禅師の「心身脱落」然り、
多くの思想で「悟り」と呼ばれるものは
己のために生きる道でなく、
生かされる道を探すことです。

放射能のこと、経済のこと、音楽シーンのこと…
従来の価値観にとらわれている必要はもう全くないと思っているのですが
人間は一人で生きている訳ではありません。
社会があり、助けあって生きています。
そこには自分とは違う価値観を持つ人の方が、
実は圧倒的に多いのではないでしょうか。
メッセージを発する際は、多少の傲慢さは必要と考えますが
排他的であったり、一方的であってはならないと思います。

揺るぎない自分と、頑固というのは別モノです。

伝え方はそれぞれで、楽しみ方も千差万別。

「筋」を外さなければ、今の時代、
それ相応の面白いことができるんじゃないかと思ってます。