戦いの美学

Posted: 2012/05/04
4月は考える時間が山ほどあったにも関わらず
ほとんどここに書こうと思うことがありませんでした。

取り繕ろおうとしている自分が見えたら書かないことにしているんです。

二重人格か?って思うくらい前日の自分の価値観を破壊したくなる
衝動に駆られることがしばしばあるのですが、それが人間ってもんでしょう。
ここ最近は怒り先行で反目して不調和したくないと願うばかりに
「絶対的自分」を信じられなくなっていることに気づいてしまったのです。
世の悪や不条理に対して決して目を背けているつもりはなかったけど
原発事故以降の世間の考え方の二極化、それに対して良し悪しを言っている次元が
そもそも違う、俺には俺の調和の作り方がある!と自負していましたが…
そろそろ結果を出さないといけない時期が来たのかもしれません。
つまりは本気で自分を立てる努力をする時期ということです。

マイペースにやろうって決めてたけど、それにも飽きてしまった。
いや、厳密に言うとマイペースのねじを締めたくなったという感じでしょうか。
漠然とした怒りや情熱が帰ってきたので今ここに書き綴ってます。
たぶん読み返すと後悔しそうだから多分二度と読み返さないでしょう。笑

そもそも破壊を恐れちゃいけない。
クロウトもシロウトもない、あるのは自分だけ、
「生」の力を表現することが「生きる」ということなのです。

ピカソにしろ岡本太郎にしろ、
既成の美意識や道徳観に疑問を抱いた先駆者は皆ルーツを辿りました。
原始美術の中に人間の生の躍動を見いだし、
尻つぼみになってゆく現代社会やその価値観と戦いました。

僕は…戦うことは悪と決めつけていた節があったのかもしれません。
しかし言わない奴はもっと悪と決めつけられることがあることを知りました。
ダライ・ラマの言葉で
「欲には二種類あり、物欲は悪だが、自身がこうありたいと願う欲は悪ではない」
というのはむかし書きましたが、それと戦うことも同じです。
人の揚げ足取ったり、瞬間の言葉を追うことほど無意味なことはない。
どうせ叩くなら、生の根底を揺さぶって決定的な感動を与えたい。
そのための創作は決して嘘にはならないし、後からみてもそれは
金太郎あめ的にいつどの時のものであっても本当の自分であるはずでしょう。

人生のなかには悲痛で惨く打ちのめされることがランダムに現出します。
この理不尽に対して卑屈になったり打ちのめされていてはいけない、
むしろ笑顔で肯定して、謳歌してやろうじゃないか!って意気込みが必要です。
男という存在が輝くのは、そんなどうしようもない漆黒の闇に立ち向かうときでしょう。

音楽やアートに限らず、仕事全般、時を生きる、全ては同じということです。
制作を続けても、いつまでも金にならないと
俺って器用貧乏なのかな?って思いはじめてしまいますが
それは大胆に言ってしまえば覚悟が足りないだけなのかもしれません。
迎合ばかりしてるとストレス溜めて自分を見失うだけです。

またJAHTOMEが口先ばっかで偉そうなこと言ってるぞ、
と思う方がいらっしゃるかもしれませんが、
そうおっしゃった方が僕の人生を変えてくれる訳でもないし
幸せにしてくれる訳でもないので大いに言わせてもらうし、
これが僕なんで全力でぶつけていきますよ、という所信表明でもありますから。

肝心なのは「思い切り」です。
なんでこんな単純なことに気づかなかったんだろう?
と思ってしまいますが、今日の一歩は個人的に大変大きな一歩でした。


1 コメント:

  1. わるねこ 2012年5月13日 12:31

    ちょっとー畑のことはーーーーー楽しみにしてるのにーーーー