世界の教えと内的世界

Posted: 2012/03/01
今、気づいてみれば毎日音楽に触れる日々を過ごしています。

音楽はむずかしい決まり事があるように思われがちだけど
本当はそうじゃない。
一音の響きが、瞬間の感情を内包した声が、
「偶然的」に織りなす奇跡的旋律だ。
アートも同じだけど、「なぜ」や「どうして」を
定義付けようとするからややこしくなるのではないだろうか。
ただし逆に、純粋無垢なものが美しいのは大前提として、
その定義や技術を、科学し構築してもそれはアートと成る。
定義のなかで遊ぶにも、センスがいるからである。
空間的で叙情的、哲学的で科学的なこの遊びは、
先史時代からヒトのココロを揺り動かし続けてきた。
だから人々はそのなかに人生の教えを託し、口承とした。
僕らがいま、日々触れる音楽はその延長線上に確実にあるのだ。
その感覚を大切にしたい。
酩酊させる倍音や、涙腺を刺激するメロディー。
そこに人の「理性」に依存しない本質を見いだすことが出来るし、
「ワールドミュージック」と現在呼ばれる音楽になかには
はっきりと共生のための理想と実現のヒントが隠されている。
右も左も白も黒もない。
この道を歩み生きる事は、
自分の内的世界と向き合うことでもある。
内的世界の奥の奥には、
他人と繫がる扉があって、
全てを共有できるのかもしれない。
ライヴは「気」の交流です。
一度それをやると、自分の開き具合もよーくわかる。
もっと知りたくなるし、繫がると喜びを感じる。

これだから面白くてやめられないという訳です。




80歳を超えてなお現役の歌うたい、アフリカ東海岸ザンジバルの「ビ・ キドゥデ」さん

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