FEEL, ALL RIGHT

Posted: 2011/10/10
目に映る全てがメセージ 
であるなら、あの大地震が教えようとしていることは何だろう?
最近、常々考えます。

先に何度も書いた気もしますが
目に見えない放射能は、人々の意識を分断しました。
実害の出ている方もいらっしゃいますが、
多くの人はまだそれを確信しきれていないのが現状だと思います。

「感じる」こと

意識とは本当に不思議なもんです。
僕が意識について意識しだしたのは
足立幸子さんの「あるがままに生きる」という本を手にしてからです。
彼女は超直感的な判断力を持ち合わせていて、
いわゆる「虫の知らせ」とか「第六感」それのみで生きている、
厳密に言えば一秒一秒差し迫る選択に対して、迷いがゼロなのです。

例えば、道を右に行こうと思っていたけど、
何か違和感を感じて左に進んだら、数年ぶりに知人に会った、
その人からとても重要な話を聞いた、とか。

「必然」とは何なのでしょうか?

毎日見える空、その先にある宇宙、その動くエネルギー
これらを僕らは日々感じて生きているでしょうか?

夜更かしをし、生体のリズムに逆行して生きるのは人間だけです。
理性を解き放ち、超自然的に生きる自分の姿を想像できるでしょうか。

完全に野生ではないですが、社会と距離を置き
かつてそういう暮らしをした民が日本には多くいました。
アイヌウィルタニブフサンカなどは
自然と調和する暮らしを実践してきた人たちです。

彼らの求めたものも「人間としての必然性」
これに他ならないと僕は思います。

食も然り、必要最低限のもので暮らすと
その分意識のセンサーの精度は上がってくる気がします。
それは肉体を超越しかけてる状態?
なのかはわかりませんが、これは実体験です。

肉体を行使して今を生きてると思うと
自然と体に対しても感謝の念が湧いてきます。
また、自愛をすることは良い精神状態を生み出しますので
結果、他愛にも繋がると最近確信しました。

しかし、過食、イージーに手に入るものばかりの社会には
それを思考する能力さえ麻痺させてしまう魔力が潜んでいると思います。

中学生のときにハマった気功の本に書いてあった言葉で
「瞳の裏にあるのは闇ではなく宇宙」
というのを今でも強烈に覚えています。

地震以降、瞑想&気功は近所の公園でも良くやっていますが
瞳を閉じて想っていることは、その宇宙の動く力とその流れ、
植物の生きようとする気、自分の気、それらの一体感などです。
太極拳はやったことはありませんが、あれもそれを感じるための
一連の所作であると思います。

少し前に、
静岡の山奥深くの大きな滝の麓で瞑想したときは
そのあまりに大きな力を感じすぎて、
自分が帰ってこれなくなる気がしました。
言葉ではうまく言えませんが、
ただ、そのとき見えた世界はぼんやり暖かく
本当に素晴らしかったです。

これらは全て「感じる」ことであり、
この能力は人間にとって宝であると思います。

日本はもともと右脳社会であったそうです。
と、言うのは、僕らが普段しゃべっている日本語は実に不思議で
主語、述語がはっきりしていなくても意味が通じる言語です。
こんな言語は世界のどこにもないそうです。
「阿吽の呼吸」と言う言葉もあるくらいですから
僕らは感じ慣れている民族であるとも言えます。

まあ、この先の話は一種のオカルトに過ぎないかもしれませんが
この「想像する能力」に長けた日本人を恐れたアメリカ人が
戦後、食、教育制度などを改革し、
つまりは文化をハイジャックしてそこから遠ざけようとした、
という話も聞いたことがあります。

何のためにか?と言ったら
それは紙幣経済第一の社会のためでしょう。

もしかしたら、この先、この「能力」が世界を変える可能性を秘めている、
ということをどこかの頭の良い学者が悟っていたのかもしれませんね。


見えないものを信じる力は偉大で尊い。
皆もっと大事にして欲しいな〜と思い、
今日は少し突っ込んで書いてみました。

今まで大してやってこなかったけど、
自分が良いと思うことを少しでも伝えることも
本当大事だと思います。

間違いなんて何も無い、
感じたことすべてが正解なんです!






0 コメント: