4REAL

Posted: 2010/04/12
原発、基地移設、食の問題などなど、今日ぼくらの目の前に山積している問題、
意思ある人やアーティストの勇気ある言動や発言によって、それらに対する素晴しいアイディアや批判がtwitterはじめBlogなどで書かれているのを最近本当よく目にします。
ほんの、階層で言ったら上部に位置するような人間が考え(多くの場合それは私欲を満たすためや優劣を決めるための方法として存在している)プロパガンダという催眠術から庶民の目を醒させる方法としてこれらは大変有効的であると思えるし、また勇気ある進言にはリスペクトの念を抱かずにはいられません。
また、僕も日々生きていて、当然思うことはたくさんあり(だからこそこういう場を設けているといるのです)言わずにはいられないことも山ほどあります。
しかしながらその際、留意しなければならないのは「等身大の言葉」で、それらがなくてはならないことです。自分の言動を踏まえた上で、発言はしなくてはいけない、と最近強く感じます。言ったからには貫かなくてはいけないというようなヤクザな世界の話ではありませんが、「言うは易し行うは難し」で、生活の中で自分を常に見つめ戦い続けることはそう簡単なことではありません。思想や自分の意見を持つことは素晴しいことですし、社会と隔絶したところでは生きていけないがゆえ、その在り方について問う、というのは当然のことであって、それはそれで立派なクリエイションなわけです。

ただ、全ての人がそうであるべきだとは思わないし、むしろ純粋な創造に対してはそれらは全く関係ないところにあるとも思います。

情報が多い時分だからこそ、より自分の足元を見て進んでいかなければならないのかもしれませんね。

0 コメント: