HUMANITY

Posted: 2010/02/26
最近、オリンピック観てます。
「エアリアル」という言葉が、このタイミングで日の目を浴びてちょっと嬉しい(笑)

それはさておき、中学生の頃なんかに比べて明らかに体を動かすことの少なくなった昨今、いざハードな運動をすると息が切れ、しんどい思いをするのは当然のことであります。こういう状態になってみて初めて思うことは、苦しい状況を乗り越える人間の精神の強さ、であったりします。五輪を観てると、やはり一筋縄ではいかない、一つの境地であるがゆえの「感動」があります。自らを超越しようとする過程もまた、美しいと思います。こういう考えが起きてる自分は今まさにルネッサンスだな、とも思ったりしますが、五輪の精神的起源を辿れば、それは同じことだったりもするのです。小さなときから何回も観てきたもののはずなのに今年に限ってすごいリアリティーを持ってそれに接している気がするのは、なぜなのだろう。精神←→肉体、このバランスの上での表現という意味で音楽にも同じものを見いだしているからでしょうか。心が体を律し、体が心を律する。これは体験上、ある、ことだと思います。人間が人工知能だけの生き物だったら、ここに感動は、ない。人間らしさ、とはどこにあるのだろう?

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