WIND BLOWING

Posted: 2009/08/12

今から16年前、中学校に入ったと同時に仲良くなった友人がいた。
そいつの家に入り浸るようになるまでに長い時間はかからなかった。部活をサボり家に直行ということもしばしば…。
家庭を想い毎日真摯に仕事に打ち込む父のスタンスから僕の家には残念ながら「音楽」や「アート」というものの存在は皆無に等しかったが、その友人の家には「それ」があった。と、言うのも彼の父親は絵描きであり無類の音楽好きであったからだ。居間の食卓の横にはドラムセットが鎮座し、ピアノにギターにべ-スはもちろん、チェロやバイオリンまでもが揃っていた。そのアートと音楽の極彩色に彩られた空間は13歳の僕には興奮を掻き立てる刺激そのものだった。1年くらいたったある日、いつものようにそこへ行くとジョージをいう黒人の人がピアノを弾きながらブルースを歌っていた。(当時の僕はそれがブルースという音楽ということは理解していなかったが)僕の友人は彼から音楽を習う、ということになり、なぜか話はとんとん拍子で膨らみ、僕とその友人とその2歳年下の弟、そしてその絵描きの父とでバンドを組み、栃木の山奥にある、ジョージ氏が自分で長い年月をかけて建てた家でライブをすることになった。そこは段々畑のようになった敷地の高台で、ちょうど目下に広がる畑が観客席となっていた。内容は素晴らしいと呼べるものにはほど遠かったけれども、これが僕の音楽を演ることの初体験だったことに相違ない。


あれから15年、実家の建て直しのための仮住居がこの家から徒歩3分のとこにあったこともあり、昨晩ひょっこり約10年ぶりにその家の扉を叩いた。兄とうり二つの顔をした弟が迎えてくれた。そして嬉しいことに彼も音楽を続けていた。(兄は今、東京でDJをしている)そして画伯も今なお健在だった。自分の音楽に対するクリエイティビティーを試されている気もしたが、結局日が昇る時間まで二人で氏の膨大なレコードコレクションの一部を聴きながら、芸術や音楽や社会についての話をした。そして東京で僕が今生きている道は間違っていないと確信できた。ここのところ自分の表現に対し疑心暗鬼になっていたが、自分の心の中には夕立の後に吹き抜ける風のようにすっきりとした爽快感があった。まだまだやるべきことはいっぱいあるね。今から東京に戻るのが楽しみです。
(トップの画像は画伯のディジーガレスピー)


画伯ブログ
(ジャズ/ロック/ソウルエッセイはDJ必見)
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